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菫色の恋 10 初花 




 


彼女が屋敷を去った後、髪の香りだろうか、あたりに甘い香りが残った。

嗅いだ記憶のあるその香りが、さっきほんの少し触れた髪の柔らかさを思い出させた。

――匂いと、感触。

細い指先を、口にいれてしまいたい欲求にかられたのは、視力聴力が利かないせいだろうか。
動物的な感覚が自分を動かしていたように思える。


一歩、足を踏み出すと、かさりと何かが爪先に当たった。
屈んで拾い上げると、甘い香りが濃くなり、鼻を擽る。

包帯を少しずつ上に引きあげて外し、その正体を見る。

小さな花束。

幾度か贈られてきたその小さな花を、一輪取って手のひらに握り締める。
すぐに包帯を取っていれば、花だけでなく彼女の姿を見ることが出来たのに。
自分の身がどんな状態であっても、誰かを想う気持ちは変わらないと知る。

姿を見たい。この声に応えて欲しい。
その人に触れて、その存在に感謝したいと願う。

その欲望に、胸が、ひどく締め付けられた。










「あっ!帰ってきたんだ!うーわ!きったない格好だなあ、まさかその格好で軽井沢からここまで帰ってきたのかよ」

「シャワーなんてここに無いの知ってるよな?なんで風呂くらい入ってこなかったんだよぉ」

劇団に戻ると、練習をいったん止めて団員たちがわらわらと寄ってきて周りを取り囲む。

「帰り道だったからちょっと寄っただけだよ。今日は家に帰って少し休もうと思ってるから」

「あら。その格好にそぐわぬ可愛いブーケね、こんな時期に菫なんて珍しい」

「そう…なのか?花に詳しくないからよくわからないな」

「いい匂い。贈り主はどんな気持ちでこの花を選んだんだろうね?」

「…さあ?俺には、想像もつかないね」

こういうことに女性は詮索したがる。そっけなく言って、それとなく話題を変える。

見知らぬ人から紹介された屋敷で、尋常ではない演技の練習をした話に、団員たちはすぐに食いつき、無謀ぶりを褒めたり貶したり様々な反応で盛り上がる。

それ以上、花を贈った人物のことは口には出さなかった。


彼女が、その気持ちを告げる気があるとは思えない。

慎ましく、密やかな届け物が、それを物語っている。













私が彼をはじめて見たのは、母に代わって劇団を訪れたときだった。


劇団つきなみは、お世辞にも綺麗な建物とは言い難かった。
建ててからどれくらい経っているのか分からないが、見るからに古くさく、修復のあとがあちこちに見られる。

「ごめんください」と声を投げ掛けるが、奥からは発声練習の声が聞こえるばかりだった。
声が聞えてくるのを頼りに中へ進み、そっとドアの隙間から、練習場を覗く。

どうやら台詞あわせをはじめたところのようで、数人の熱っぽい声が響き始める。
奥に、ひときわ目立つ、男性がいた。
彼のところだけ、太陽の日が差しているかのようだった。
役柄が何かは分からないけれど、しばし彼の演技に魅入る。

なんだろう?これ。
目が、離せない…
心が、震える――




「ちょっと、あなた、誰なの?」

廊下を歩いてきた劇団員の一人が、私を見咎めて後ろから声をかけてきた。

「すみません!あの私は」

振り向くと、彼女ははっと顔を硬くし、嫌な笑みを浮かべた。

「知ってますよ、芸能プロダクション大御所さん。ちっぽけな劇団に、何のご用です?先生は今いませんよ。よくも平気な顔で来れたものですね」

「それは…どういう意味ですか」

「貴方達のせいでしょう、先生が倒れたのは」

「今日は、母に変わってご挨拶に伺っただけです、あの…先生のお加減はいかがでしょう?重いのですか?」

「いかがですかって?!白々しい!貴方達のやっている事は分かっています、こんな小さな劇団を潰して何になるんです?」

「潰すなんてそんな…そんなつもりじゃ…ただ…」

「何度いらしても貴方達の所に譲るつもりはないです。綺麗事を言う為にここに来ただけならもうお引取りください。もし先生がいたとしてもとても話にならないでしょう」

「…あの、先生のご入院されてる病院は」
「そんな事あんたに言うと思う?!さっさと帰りなさいよ!」


「何?誰か来たんだ?」

――さっきの、男の人だ。
近くで見ると、思っていたよりも若い。
背はすらりと高く、その眼差しに自分が映っていると思うと、何故か少しどぎまぎした。

「っ…すみませんでした。おっしゃるとおり、出直してまいります」

頭を下げて、彼らに背を向ける。
そんな私に向けて、彼らが聞こえよがしにする話は、このところ多箇所で耳にする内容だった。
もう言われすぎて、反論する気もおきない。

「どうしてあんな子を寄越して来るのかしら?罵る気が失せるわ。だいたい、まだ学生じゃないの」

「このところ後継者として、あちこちに顔を出させているらしいよ、あんな小娘になにができるっていうのよねぇ」

「ただでさえ嫌われてる強欲プロダクションよ?まさか、イメージ変えたくてあんな朴訥な子を引っ張り出してきたとか?」

顔が、熱くなる。

――あの男の人に、どう思われたんだろう。

何故か、そんな事が気にかかった。








「お母さん、ただいま戻りました」

途端に、厳しい声が社長室に響く。

「社内で私を母親呼ばわりするのはやめなさい。いい加減に自覚を持ったらどうなの?」

「っ、ごめんなさい…」

母の座る机に歩み寄り、身を正す。

「それで?話はつけてきたのでしょうね?」

「それが、先生が入院したというので…その…」

「…なに?まさか、良心が痛んでできませんでしたとでも言うつもり?」

「お母さん、私…そんな…弱みにつけこむようなことは」

「呼ぶなと、言っているでしょう!?何度同じ事を言わせるの?」

「っ!」

思わず身をすくめて後ろに避けた。しゅっと、振り上げた母の手が頬をかすめる。
よろけて片膝をついた私に、母の怒声が降り注ぐ。

「何故あなたはそんなに考えが未熟なの?!こうしている間にも、虎視眈々と他の事務所が天女の権利をねらっているのよ?!絶好のチャンスでしょう、どうしてそんな事も分からないの?!」

大きな溜息。その後に続く台詞は聞かなくても分かってる。

「あなたに任せるなんてやはり無理なのかしらね」


――おかあさん。おかあさんは、わたしが、きらい…?

すててしまいたいくらい、できのわるいむすめだと、おもってる――?


幼い頃から繰り返してきた言葉を、このときもまたなぞりながら、母親の冷たい横顔を見つめる。

「もういいわ、下がりなさい。入院している病院は調べて後で伝えるから必ず面会してくるのよ!」

「…はい…申し訳、ありませんでした…」









――ああ…ダメ…

自分が悪いって、よく分かってるのに、

気持ちが沈んじゃいそう。


屋敷に戻った私は、中庭に出ていつも手入れしている花壇へと直行する。

「…っ!」

嬉しい…!!

育てている菫が、この季節ではじめての花をつけていた。
鮮やかな紫色。なんて綺麗なんだろう。

そうだ!

咲き誇る花をブーケにしよう。

レースの包装紙を可愛らしくあしらって、リボンをつけてみる。

うん!いい感じ!

それを彼に届けてもらうように使用人に頼んだ。

「なんですねお嬢様、どうせ贈るならもっと派手な花を使えばいいのに。この菫は香りはいいですけど切花は長持ちしないですよ」

「ううん、いいんです、これで」

豪華な花をこれ見よがしに贈るのは自分のエゴを見せ付けるようで嫌だった。

「名前は無記名で。絶対に誰からか知らせないで欲しいんです。それと、母さんにも、絶対にこのこと言わないで」

母親は私が草花を育てるのを嫌っていて、そんな暇があるなら試験勉強と経営学に費やせと叱る。
ましてやそれを『つきなみ』の劇団員に贈るなんて、どんな罵りをうけるか知れない。

「また秘密ですか?お嬢様」

「お嬢様って、呼ばないで。私はそんなガラじゃないもの…。じゃあ、学校、いってきますね。そのあとそのまま会社に寄るので迎えはいらないです」

「まあ…本当に大変ですねぇ、学業と仕事の二束の草鞋も。あまりご無理はならさないようにしてくださいよ?昨日もあまりお休みになっていないのでしょう?」

「試験が近いから、仕方ないの」

前回の試験では一教科だけ、満点を取れなかった。
いつでも完璧を求められ、達成したとしてもそれが当たり前だと言われて褒められることもない。

それでも、私は母親の言うとおりにするしかなかった。

会社だって、継ぎたいわけじゃない。
母に褒めて欲しくて、ただ逆らえないだけだ。

このまま、私を認めてくれる日が来ないとしても、それは変わらないのだろう。

――だけど…


天女の上演権を奪い取れたら、母は私を認めてくれるだろうか――



そんな淡い期待が、『彼』を苦しめるとはじめから知っていたら、私はどうしていたんだろう――





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