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スタジオを出た後も普通に仕事をこなして、下宿先のだるまやに帰り着き、いつものように店の手伝いや大将や女将さんとの談話で和やかに過ごしたキョーコだったが…
一日のひととおりを終えて布団にもぐりこんだキョーコは、ごろんと寝返りを打って横を向いたまま、畳の一点をじっと見つめた。
ずっと心に引っかかっていた事が頭の中に再生されて、その内容の有り得なさにキョーコは非常に悩ましい溜息をついた。
本当は、少しだけ、覚えてる。
ショータローの顔が、すごく、かっこよくて素敵に見えた…そんなふうに感じていた自分が、蘇っていたかの様な、お ぞ ま し い 感 覚。それから、頬に微妙に残る、あいつの手のひらの感触と、熱を帯びた頭の中。
――まさか…
あいつ、私がへんな演技をしてたって、言ってたけど、ま さ か … ?
「…っ」
もしかして、私、忘れて、いるの?
演技したことを全部?
もしそうだったら「演技」だなんて言えないじゃない、そんなの!
私…っいったいどんな醜態をショータローの前で晒したの?!
あいつに聞くのも嫌で知らないふりで帰ってきたけど…
――なんなのこれ…どうしたら、いいの――?!
だいたい、「絶対憶えていてやるんだから」っていう誓いも間もなく、いいように忘れさせられてるって、どういうことよ?!
酔っ払いだってもっとしっかり覚えてるんじゃないかしら…!?
いったいどういう不可思議な仕組みなの――?
――っ気になって、ぜんぜん眠れない…!
自分が何をやらかしたのかはっきりしないままじゃちっとも落ち着いていられないのよ…!
でも、ショータローに聞くのは二重の恥だし、下手にあいつに近付いてまた変な事になったら絶対に嫌…!
「ああ、もう!じりじりする~!!」
苛立ちに目を固くつぶっていたキョーコは、はっと気がついてぱちりと目を開いた。
――あ…そうか…
(追い立てられるような焦燥感が――…)
あれって、もしかしてこういう感覚の事を、言ってたのかな…敦賀さん…
確かに、これは、深刻にならざるを得ないわね…
だって、まるで夢遊病みたいに自分のしたことを憶えてないんだもの。
きっと、私に対してああいう「演技」したの、嫌、だったんだろうな…
(――噛んでたな、っていうのは覚えてるよ。でも、なんでそうなったのかは、覚えてない…)
うん、きっとそうだ。症状的にも似てるし…
(もしかしたら、またさっきみたいに最上さんが嫌がるような事をするかもしれない…それでも、そう言えるのかな――)
自分の意思で動いてるわけじゃないんだもの。嫌に、決まってる…
(俺が、したくてしている演技だったら、どうする――…?)
「っ」
(――彼、かなり役に便乗するケがあるみたいだネ!
…すごく君に思い入れがあるんだなって――)
「――っ違うっ違う違う…!それは、絶対に――っ…!!」
昼間に言われた言葉がぐるぐると廻ってきて、キョーコは頭からすっぽりと布団をかぶって、ぎゅううっと身を丸めた。
――認めない…忘れてしまうような演技なんて、絶対にもうしたくない…!
そうよ!不本意なコトを無意識のうちに無理矢理させられたのよ?!敦賀さんだって、同じ気持ちに違いないじゃない!したくも無い演技させられて、それを良く覚えていないなんて、有り得ない!
――嫌…!
早く、なんとかしないと、頭がおかしくなっちゃいそう――!
「…最上さん?」
翌日。
ラブミー部の仕事で事務所に立ち寄ったキョーコは、その帰り際に声をかけられてどきりと胸を鳴らした。振り返ったキョーコは、どういう顔をしていいか分からなくて頬をこわばらせた。
「やっぱり、最上さんだ」
「敦賀さん…どうしたんですか?」
まだ、ばくばくと鼓動する心臓を押さえながら、キョーコは近寄ってきたその人を見上げる。
暫くは会うことがないだろうと思っていた人がそこにいたからびっくりしただけ…落ち着くのよ…と、キョーコは必要以上に乱れている心の中をなだめた。
「うん、ちょっと昨日聞いた話が気になってね…ちょっとした聞き込みにきたんだけど何の収穫も無かったから最上さんに会えてよかったよ、無駄足にならなくて。あの後、変わったことは無かった?」
「イエ、コレといって特には…通常どおりですが?」
ショータローの事なんて一寸も悟られないようにしないと…
キョーコは蓮にそれ以上何か聞かれる前に、考えている自論を話し出した。
「昨日も色々考えたんです。どこらへんからおかしくなったかって考えると…やっぱり助監督に初めて会ったときから屋敷での演技あたりで何かのトラップにかかったんじゃないかと思います。監督もほかの共演者も、椹さんもきっと最初はちゃんとドラマの制作を知っていたと思うんですけど…でも社長さんが確認を取ったところでみなさん忘れているようですし…」
あの小人が空間を歪めるとか記憶を奪うとか
そういう非現実的な事が出来る超人だとは到底思えないけど…
屋敷でのロケとか、携帯が使えないって言ってたこととか、神出鬼没なところとか、
もう諸々怪しむべきところはいっぱいあるのよね――
「あの偽助監督…忘れることはいいことだとか言ってみたり、訳が分からないです…モー子さんの事だって、あいつが関わってるに違いないんです。最悪監禁されてる可能性だって…っ…でも、確証は無いし、問い詰めようにも捕まえられないし…もうどうしていいのか分からない…」
しょぼんと頭を項垂れたキョーコに、蓮は宥める様にして訊ねる。
「どうしたの?昨日話してくれた時と違ってずいぶん今日は弱気になってるみたいだけど」
「昨日は怒りが先立っていたので…あらためて考えてみると、悔しい事にどうしたってむこうの方が上手ですから…これじゃあ、モー子さんは人質も同じです、まったくあんな害の無さそうな顔してなんて卑怯なのかしら…!」
「でも、まだ琴南さんが彼のところにいるとは限らないだろう?」
「いいえ…!絶対そうです!親友の危機に働く私の勘がそう言っているんですから!」
怒りのパワーが戻ってきたらしいキョーコに、蓮は何かを思い、少し笑った。
その笑みには気付かずに、キョーコはその凛々とした目をまっすぐ蓮に向けて訊ねる。
「敦賀さんは…この状態を抜け出すにはどうしたらいいと思います?」
「それは…その人を捕まえる方法を見つけるか、最後までそいつに付き合うしか方法がないんじゃないか?」
「最後まで…付き合う?!」
驚きの声を上げるキョーコに、何ということもなさげに蓮は頷いた。
「うん。今のところ他の仕事に大きな影響を与えているわけでもないし、このままやってみたらどうだろう」
「それって不当な演技を続けるって事ですか…?っ、正気ですか、敦賀さん?!」
「だって、どんな話だって、終わりがあるはずだろう?」
「そんなの!いつ終わるかなんてわからないじゃないですか!だいたい演じるも何も、話がさっぱり不明なんですよ?!一生この状態が続くかもしれないじゃないですか…それでもいいんですか?!」
「いいも悪いも…決定権は俺達にないじゃないか。意志の力で逃れられる方法があるのなら足掻いてもみるけどね」
「だ、だって!嫌じゃないですか?!自分の知らないうちに自分が何してるか把握でいないなんて」
「そんなに、嫌じゃないよ?俺はね」
「…………わたしはハゲシク嫌ですが?」
ショータローに#:*%&(言うのも嫌)したり、敦賀さんや憶えていなくても他の誰かに迷惑をかけたり…
居たりいなかったり、覚えていたりいなかったり、覚えられていたりいなかったり。
「こんな不確定な状況が続いたら、正常を保っていられる自信がまったく無いですから」
嫌じゃないなんて、絶対嘘だ。だって、敦賀さんだってあんなに悩んでいる様子だったんだもの。
――あ…もしかして…私に気を使ってそう言ってくれているのかな…
蓮の気づかいを一蹴してしまった事に気が付いて謝ろうとしたキョーコだったが、蓮はさらに耳を疑うような意表をついた提案を口にした。
「じゃあ…忘れてしまえば、いいんじゃないかな」
「え?」
「忘れるのはいいことだって、彼も言ってたんだろう?」
敦賀さん…?な…なにを言い出すの…?!
「そういうわけで、今後どんな行動に出ようとそれは不可抗力な事だから、お互い恨みっこなしってことで」
苦笑いでそう言ってのけた蓮に、キョーコは青ざめて拒否をする。
「そんな…!いっ、嫌です、そんなのっ」
「知らなければ悩む必要ないだろう?…忘れたら、いいんだと思う…二人でなかったことにして忘れてしまおう?」
「でも…」
「大丈夫。誰も知らないなら、起きなかったのと同じなんだから…」
――そうよね、知らなければ、なかったことに出来る…こんな煩わしい事、みんな忘れちゃえばいいんだよね…?
「…」
頷きかけて、はたと我に返る。
って、そんなはずがないじゃない…!!
ダメダメ!変に催眠効果あるんだから、敦賀さんの声は…っ
だいたい、敦賀さん、どうしてそんな事無かれ主義に?!
しっかりしなきゃ!私がここで流されちゃったら誰があの偽助監督の悪事を暴くっていうのよ!
「っ敦賀さんらしくないですね…相手の思惑通りに動かされて考えるのを放棄しちゃうんですか?」
悩みをふっきるような諦め顔だけど、だからと言って投げやりという様子には見えないのが気になる。
何か考えがあるのかもしれないと考えて、キョーコは気持ちを落ち着けつつ蓮に訊ねたが、キョーコの期待するような答えは返ってこなかった。
「いや、放棄してるわけじゃなく…この間も言ったけど、話の流れの中である程度は自分の意思が働いているような気はするんだ」
「憶えてないのにそんなこと分かる筈ないじゃないですか」
「憶えている事もあるよ、感覚的にね」
感覚的に…それは、分かるけれど――…
「私は、敦賀さんみたいに割り切れません…今の状態に理解のある限られた人相手ならまだしも、昨日みたいなことになったら絶っ対に嫌なんです…!」
「…そんなに嫌なんだ?」
「え?」
「俺が相手なのが、最上さんには苦痛?」
「そうじゃ、ないんです…」
いえ、そうでないとも言えないけれども…何より嫌なのは…
――自分が、まるで、昔に戻ったみたいな感覚に陥るのが、すっごく許せないんだもの…!
「っ…敦賀さん…あの…」
今の気持ちを分かってもらうには、やっぱり、話さないとダメ…なんだろうな…
「…私が、苦痛なのは…実は、昨日敦賀さんにお会いしたあのあと――…」
――昨日みたいに、ショータローの前で奇行を繰り返したらと思うと気が気じゃない。
話さなくちゃ――…事態解決の唯一の協力者をここで逃がすわけにはいかないもの――
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