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菫色の恋 22 偽花





彼が通っているアクトスクールを訪れたのは、その日の夕方だった。
ハイレベルな演技力を育てる一方で、芝居の練習として本格的に劇団としても活動している正統派演劇学校だ。プロダクションに入ってから、彼はここで過ごすことが多くなった。

もうすぐレッスンが終わる頃だろう。

入口の前で、すうっと気合を入れるために息を吸い込む。

…ちゃんと、聞くのよ…!社長らしく、彼の意向と、それから…

――彼女をどう思ってるのか…を…

「っ…ふぅうううう…」

ゆっくり、息を吐き出す。両手をぐっと握りしめ、顔を上げる。

「…よし!大丈夫!行ける!」


「何が大丈夫?ここに何の用?また虚勢でも張りにきたのかな」

顔を上げた真ん前に、彼が立っていた。

「なっ…え、ええ!?」

――っ今の、聞かれてた!?

ざあああっと血の気が引く。社長らしく彼に接したいと思っている矢先、出鼻をすっかり挫かれてしまった。

「…っ…いつも思うんですがっ…あなたの態度って、自分の所属する会社社長に対する態度ではないですよね。かなり失礼なんじゃないですか?だいたい私は」
「顔色が悪いな。今日は特にひどいみたいだ」

くいっと、顎先をつまんで顔を上向かせようとする手を避けて、私はキッと彼を睨んだ。

「人の話はちゃんと聞いて下さい!」

「君こそ、俺の話を聞いてないのか?いつも言ってるじゃないか、君には、大プロダクションの役付きなんて微塵も向いてない。諦めて自分のしたいように生きたら?」


「っ大きなお世話です…っ」

「親切で言っているのに…仕方ないな…で?そのお偉い有能な社長様がじきじきに御出で下さるなんて、今日はいったい何の御用でしょうか」

「………」

「うん?何か、聞きたそうな顔だね。何?」

黙ってしまった私に、彼は肩をすくめてニヤリとする。

「今日は言わないのかな、あなたはうちの商品なのよ、とか、商品のくせに勝手なことをしないで欲しい、とか。そういう、心にも無いことを、ね」

見透かされているような気持ちになって、私は混乱をきたしながら反論を試みる。

「だ、誰もがあなたみたいに自分の思うが侭にできるわけじゃないんです!っ…よかったですね…!俳優業もプライベートも充実なさってて!」

「うん、おかげさまで」

「…!」

――本当に、つきあっているの?

あの人と、仕事もプライベートもパートナーに――?

「……」


「だから、何かな。俺だって暇じゃないんだけど」

皮肉たっぷりな態度と、苛立って機嫌の悪そうな声に、たじろぎそうになる。
――いいえ、立場的には私のほうが上なはずなんだから、怯えることなんてないのよ…!

「っ、その…ふ、本気、なんですか?」

気負って裏返ってしまった声が恨めしい。
その動揺を誤魔化したくて、私はきりっと彼を睨みすえた。

「何が?」

「あ、あの噂です!」

「あの噂?ってどの噂かな。心当たりが多すぎてさっぱり分からないな…」

ふざけて指折り数えだした彼に、私は声を荒げた。

「っ今日の記者会見!知ってるでしょう?!あんな売れっ子女優さんと…本気であの人と付き合ってるのかどうか聞いているんです!」


「なんで?本気かどうかなんて、君に関係ある?」

「……と、当然でしょう?関係、あります!しゃ、社長として…っ」

「……」

沈黙が、続いた気がした。私が、気にしているだけで、実際は数秒の間だっただろう。ほんの数秒の間の悪さが、わたしの思考のテンポを鈍くさせる。もう、ぐだぐだだ。

「っ彼女は、いずれ天女の役をつかむかもしれない人だし…あなたはその相手役に、なりたいんでしょう?どんな繋がりだって大事にして欲しいの。付き合っているなら、役が決まる前に破局になるようないいかげんなことをされちゃ困るのよ。イメージが悪くなるのは、ごめんだわ。付き合うなら、うまく立ち回ってくれないと…」

必死で、だけどそうとは悟られないようにそう言って呆れ顔を作ってみせると、彼は、くくっ、とくぐもった笑いを漏らした。


「なんだ。また君がマスコミけしかけたんだと思ってたけど、違うのか」

「またって…どういう意味?私がそんなことして何の利益があるっていうんでしょうかね?」

「だって、得意だろう?ああいう下らない輩にガセネタ披露させるの。母親ゆずりの特技だよね?今度はあの女優を潰しにかかっているんだろう?よくやるよ」

「だから!そんなことして何になるの?自分の所属俳優に不利な情報流す必要なんて無いでしょう?!」


「そうか…俺は捨て駒にされるために、劇団を潰され恩師まで酷い目に合されてこの事務所に引きずり込まれたのかな。余所の事務所の天女候補をスキャンダルに追い込むために?」

「馬鹿なこと言わないで。あ、あなたが誤解されるような事をしたんじゃないの?会見での彼女は…本当にあなたに惚れているように見えたもの…っ」

「それは、向こうの事務所も色々画策してるってことだろう。まるで化かし合いだね。くだらない。巻き込まれるほうの身にもなって欲しいね」

「…え?」

「だから、会見の彼女は演技だよ。何が目的かは知らないけどね」

「それは…あの人が、あなたが好きだからでしょう?」

「それなら直接俺にしかけてくるだろう?残念ながら彼女からそんなそぶりはまったく無かったね」

モーションかけられたら喜んで靡くのに、とでも言いたげな口ぶりだったけれど、全然気にかからなかった。
胸の底からほわっと安堵感が湧き上がり、自然と口元が緩んでしまう。

「……そう、なんだ…付き合って、なかったんだ…」

「おや?…もしかして安心した、とか?…なんで?」

「そっ、それは…そんなの、あ、あたりまえでしょう!?」

「馬鹿だな、安心なんてしてる場合じゃないだろう?だいたい、あれくらいの演技見抜けないなんて、君の洞察力を疑うね。そもそも俺を……自分の所属俳優を信じてもいないんだから」

「そんなこと、ない…あなたが選んだ相手なら…あなたの進みたい道なら私は信じて任せたいと思ってる。だから、もっと…何でも話して欲しいの。きっと力に、なるから…」

すると彼は、逸らしがちだった視線を真っ直ぐにこちらに向けると、私を冷ややかな目で睨み付けた。

「…力になりたいだって?どの口でそんなことを言えるんだ?母親に何をして来いと命令されたんだ?…今度は何をたくらんでいる?

肩を掴まれ、間近から踏み込むように凄まれて、身体が抑えきれず小刻みに震えだす。


「っ、私は、私の意志でここに来たの…!真剣に言ってるのに…人を疑うことしかできないの?いつまでそんな態度でいる気なのよ!?頑なすぎて、いい加減、社会人としての神経を疑うわね」

胸が痛くて叫ぶように捲し立てると、彼はハッと嘲笑って、私の肩から手を放した。

「……結局、君は何しに来たんだ?噂話に翻弄されてわざわざ憎まれ口叩きに来る君の神経のほうが、俺には信じられないけどね」



明らかな侮蔑の眼差しを私に投げ、彼が荒々しく扉を閉めて戻ってしまった後も、私はしばらく立ち竦んでそこから歩き出すことが出来なかった。

――
どうして、こうなってしまうんだろう。

また、怒らせてしまった。


子供じみたプライドと、うまく伝えられない自分の不器用さに苛立って、そうじゃないと弁解したくて彼を追いたくなる。
けれど、今のままの自分じゃ火に油を注ぎにいくだけだと分かっている。

向いていない。そんなの、私が一番よく分かっている。

私は、いつまでたっても彼に、事務所の社長と認めてはもらえないに違いない。

彼という俳優をさらなる高みに導く手腕が私に無い事実を、会うたびに突きつけられる。



それでも、やらなければならないのだ。


彼のために。それから、母と、自分のために。











「お呼びでしょうか」

心の芯まで疲れ果て、マンションに帰り着いた私は、そこに一人の女性を呼びつけた。
彼女は、屋敷を出て一人暮らしをしている私が唯一付き従わせている、私の最も忠実な部下だった。

「また、お願いできるかしら」

左片方に一つで結い上げた、艶やかな黒髪を肩に垂らして、彼女は畏まった仕草で私の言葉に頷く。

「はい。いつものように菫とカードをお贈りしておきます。ですが…だんだんあの方からの追究が厳しくなってきました。本当に会う気があるのかと疑い始めているようです。本気で探りを入れるようになれば、送り主がお嬢様だとお気付きになるのも時間の問題かと思われますが」

「大丈夫よ。贈り主と私があの人の中で同一になるなんて有り得ないと思う。だって、私はものすごく嫌われているのよ、あのヒトに」

自分で言った言葉で、胸に突き刺さる痛みを味わう。
それでいいと言い聞かせながらも、その事実はやっぱり辛くて、日を追うごとにその切なさは降り積もってくる。

「…そんな、悲しそうな顔をさせるくらいなら、私は…」

すい、と彼女の指先が、私の頬に触れる。

「本当の事を、はっきりさせずにはいられません」

「え…?」

本当のこと?

「彼は…あなたのことを気に入っているのだと思います。だから、あなたの今の立場がもどかしいのではないでしょうか」

私はそれを笑って否定した。

「何言ってるの。馬鹿ね。有り得ない」

途端に、触れていた指が、むぎぃいっと力いっぱい私のほっぺたをつねりあげたのだった。

「い``っ…いひゃいっ」

「そんなことぐらいもわからないんですか?いいえ!あなたのことだから、わからないふりをしてるんでしょう!まったくもー!見ててイライラする!さっさと白黒つけてしまえばいいのに!」

「ひょっ、ひょんなこほ、いっふぇもぉ…」

「今日の会見だって、いずれ彼に悪い印象を植え付ける為の偽装会見でしょう?もう数か月、いえ数週間もしてごらんなさい、彼は彼女をぼろ雑巾のように使い捨ててこっぴどくふった男扱いにされることでしょう。彼女はけなげにその仕打ちに耐えて苦い人生経験で女優としてもひとまわり大きく成長、その頃には同じ事務所の相手役候補と付き合いだして演技に厚みが増したでしょう?もう他の候補なんてめじゃない、公私共にはい二人に配役決まりでしょう?と、こうでしょうね」

「ふぃい…ほんなむちゃふちゃな」

「そうなる前に明日にでもちゃんと否定の会見を設けてくださいよ?だいたい、打ち明けて、何の問題があるって言うんです?すべて伝えてしまえばいいでしょう?あなたが欲しいって!」


「なっ…!」

あまりにも直接的な表現に驚き、私はかっと顔を熱くして彼女の手を振り払った。

「ほ、欲しいだなんて…!そんな…っ、そんなこと…!私は彼とどうこうなりたいわけじゃないのよ?」

「あーもうー!何度このカードに本当のことを書いて渡してしまおうかと思ったか!そろそろ限界かもしれない…今度こそ実行に移してしまおうかしら」

独り言をわざと聞こえるようにつぶやく彼女に、私は涙目で縋った。

「っ、やめて!やめてよぅ…」

「勝手に書いて渡されたくなかったら、もっとご自分に正直になられてはいかがです?」

「っ…今日だって、充分すぎるくらい正直に、喚いてきちゃったんだけど…」

「それは正直とは言いません!どうせまたテンパって言いたいことも言えずに怒らせたんでしょう?今日の会見の件だって、もっと迅速且つ功利的に動いてもらいたいものですね」

「わかったわ…だからそんなイジワル言わないで、ちゃんと贈っておいて。勿論、カードはそのままで!じゃあ、もう今日は下がっていいからっお願いね!」

不承不承、お辞儀をして彼女が去って行ったあとで、私はどさりとソファに座りこんだ。

――なんか…最近主従が怪しくなってきてるわよね…

私が、自分をごまかし続けているからだって、分かってるけどね…


厳しい事を言うけれど、彼女はいつも、私に優しい。

私をいつも心配してくれる、私にとって、なくてはならない影のような存在――



――いいえ、影じゃなくて、私の光…私の…















――私の親友、モー子さん……


ぱちり、とキョーコは瞬きをして、驚いたように顔を上げた。
誰かがキョーコを覗きこんでいる。

「えっ…!!…っ?モー子さん?!」

「あ、覚醒した」

へっ?

「あ、や、社さん…?あ、あれ?ここって…」

スタジオの片隅、カーテンの影で、一人ぽつんとパイプ椅子に座っていたキョーコを、社がのぞきこんでいる。

「キョーコちゃん、また演技に飛んでたんだ?」

「あ、あれ?さっきまでモー子さんと…」

…モー子さんと、なにしてたっけ?

きょろきょろと慌てて奏江の姿を探したが当然のごとくまったく見当たらない。
それでもキョーコは、社にずいっと詰め寄った。

「あの!琴南さんが、いたと思うんですが何処へ?」

「え?琴南さん?今、俺がここに戻ってきたときには、君一人だけだったよ。琴南さんの姿は見かけなかったけどなあ」

「そう、ですか」

キョーコは、がっくりと肩を落とした。

――すごく、久しぶりに会えたのに。相変わらず、内容ははっきり覚えてないけど…


「なんだか…いつものモー子さんとは程遠いような感じだったな…」

…会いたいよ、モー子さん…

「っ…モー子さん…」

「キョーコちゃん、そんなに気を落とさないで。きっとまたすぐに会えるよ、ね?」

「……はい…」

――すぐに、会えるよね…

いま、どこでどうしてるの…?

モー子さん…きっと、助け出してあげるから…待っててね――









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