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菫色の恋 6 突発ミキシング


青ざめた顔のキョーコを心配して、隣を歩いていた蓮はふと立ち止まった。
相当追い詰められているのだろう、キョーコは覇気の無い様子で蓮の横を通り過ぎ、そのままゆらゆらと前を歩いていく。あのままでは演技ができるようには到底思えない。
蓮はキョーコの肩に手をかけてひきとめ、その顔色を窺った。

「最上さん、大丈夫?」

問いかけに答えるようにキョーコはぶつぶつとつぶやく。

「なぜ、花を贈るかって…」

「うん?」

さっきの助監督の言葉の答えを探しているらしい。
蓮は俯いたままのキョーコの口から漏れ出る声に耳をかたむけた。

「それは…励まして支えるために、ですよね」

独り言かと思ったが、どうやら確認を求めているらしい。
蓮は肯定も否定もせず、キョーコに問いかけた。

「励ましたいならじかに会って、声をかければいいのに。それをしないのはなぜ?」

「自分のプロダクションの俳優のライバルといえる相手だから…商売敵に正体を知られたくなくて…」

「敵を励ます必要はないはずだろう?」

「それは…敵とはいえ好意を持ってしまったからじゃないですか」

「どういうところを好きに?」

「それは、並ならぬ演技へのこだわりと表現力に心を囚われたんだと…」

「そんな役者は自分のプロダクションにも掃いて捨てるほどいるんじゃないか?そういう役者達と何が違うの?」

「何が…違うかって…」

演技力とか、ひたむきさとか、寝食忘れるくらいの没頭力とか…?
演技に入り込むと周りが見えなくなってしまうところは、他の役者と違う所ではあるけれど、
変人ともいえるくらいの固執ぶりは、普通にいたらちょっとひいてしまいそう…

「そうよね、なんで…あんな演技馬鹿男の、いったい何処に魅力をかんじたのかしら…」

「………」

演技に魅せられたとはいえ、影から援助したくなるほどの、単なるファン以上の感情が生まれるものなのかしらね…

単純に好みのタイプだったとか、ただ好きになったのなら、へんな意地を張らずに初めから自分のプロダクションにでも誘い込んでしまえばいいのに。
そう、だ。自由に動き回れない理由が彼女にはあって…

「…負い目を感じているんです、彼に」

芸能界を父親への復讐に利用しようと画策して、それを知った彼に軽蔑されているのを知っているから…

「ん…?」

キョーコは首を傾げる。

――あ、あれ?

今、何かが心の中で接触して、じりっと一瞬火花が散った。

「芸能界を復讐の道具に…?そんな話でしたっけ?」

混乱してキョーコが迷いに揺らぐ目を向けるが、蓮は困ったように眉を寄せるばかりだった。

なんで…?考えれば考えるほど、話の輪郭がぼやけてくような気がする…!

こんなつかみどころの無い話だったかしら…?!

「やっぱり、もう少しだけ、時間をもらおう?」

「っ、は、はい…」

キョーコは返事をしながらも困ったように手を組み合わせていたが、すぐに思い切ったように顔を上げた。

「あの、でも…やっぱり、こんなことで、お時間をとらせてしまうのは心苦しいんですが…私なんかのせいで…」

キョーコがちらりと目を向けると、蓮は少し肩をすくめてみせた。

「俺もね、実を言うと、それほど役を把握しきれていないみたいだ。さっき最上さんと話をしている間にも、自分の認識にずれが生じて、少し分からなくなってね。だからこれは、俺のためでもあるんだよ。それに最上さんが役をつかんでくれないと、撮影はじめられなないだろう?」

「…!は、はいっ」

敦賀さんの役柄像にまで悪影響を及ぼしているなんて…とキョーコが深く落ち込んでうなだれたそのとき。
前を歩いていた蓮が、突然ぴた、と足を止めた。

「わ!きゅ、急に止まらないで下さいよ?」

「じゃあ、ここに横になって」

「え、あ、はいっ…」

言われるがままに、すとぺたん、と雑草の生えた地べたに仰向けに横になったキョーコだったが、あれ?と首を傾げた。

って?なんで、横になる必要が…?

「あ、あの?」

「そこは、病院のベッド、台本の最初から」

「え?あ…」

最初っていうと……病中の先生を見舞うシーン…?

このシーンでの私は先生役…?と、なれば、私は、お見舞いに来る彼をピクリとも動かず眠って迎えなくちゃダメよね…

私の出番は全く無いはずだし、どうしてこのシーンから演じるのかよく分からないけど、敦賀さんには何か思惑があってのチョイスに違いないもの。

 伝説的な役を演じた女性。
 彼女の相手役として『天女に魅入られた男』の役を、もう一人の候補と争う最中、
 演技指導の途中で倒れた彼女が入院している病院…

イメージしながら仰向けのまま目をつむった所で、敦賀さんがこちらへ近付いてくる気配がした。


――あ…れ?なんか、変…

そう思う間もなく、ふわり、と瞼が重くなり、自分の意識が遠のいていく。

「…っ」

その間際に、誰かの切迫した感情が頭の中に浮上してくる。

「っ!!」

その感覚の異様さに青褪め、キョーコは、ばっ、と目を開けて蓮にそれを訴えようとした。
けれども瞼はぴくりとも持ち上がらず、意識は下へ下へと吸い取られるばかりだった。

――あ、ダメ…

遠くから… 

 遠くから、声が響いて、くる、みたいな、感じ…する…

…敦賀さんの声…なのかな――……









――こんな転機が訪れるとは、思いもしなかった。



 
自分が、別の誰かになるきっかけなんて、
どこに落ちているかわからない。


病弱な母親を支えながら生きてきた。
それが自分の生きる要だと信じて。

けれどもあの日から、演じることが生きる糧になった。 

魂を受け継ぐ、その権利を手にすることを焦がれて。

それがかつての生きる要を捨てることになろうとも。 


 


「そんな…」
 
息せき切って、入院したという師のもとに駆けつけると、彼女は既に意識も戻らない容態だった。
人工呼吸器の下で浅く息を繰り返す彼女は、ひどくやつれ、病魔と老いに今すぐにでも負けてしまいそうにみえた。

「っそんな…まだ、何も…!」

その体を思いやるのではなく、彼女からもう何も教わる事が出来なくなるのではないかという事が不安でならない。そんな自分を浅ましいと自らを侮蔑しながらも、万が一彼女を失ったあと、演劇への熱をどこへ向かわせていいのか分からなかった。
美しい魂を演じて受け継ぐ者を、彼女が育て上げる前に力尽きてしまえば、その役を本当に演じることができる人物はいなくないってしまう。

「っ…」

苦い思いに、昏睡状態の彼女から視線を背ける。
こぶしを握り締め、彼女の肩を揺すり起したい衝動に耐えた。
すると傍らのキャビネットの上にある、花瓶の花に目がとまったのだった。

稲妻が駆け抜けたかのように、胸が、震える。

――もしかして、来ていた…?

思わず弾かれたように病室の外へ飛び出す。
そうして廊下やロビーを見まわすが、すぐにそれが無駄な行動である事に気が付いた。
…捜し求める人物がどんな姿かたちかもわからないのだから。

その人は、自分のファンと名乗る人物。
弱った心を知るかのようにいつも絶妙のタイミングで淡い紫の花を届けてくる。贈り主の名前は、いつも無記名だ。

最初はあまりに自分の状況を理解しすぎているようでかなり気味が悪いと感じていた。
けれども時々添えられてくる手紙の短い文章からは、シンプルに励ましの想いが伝わってきて、重荷になるようなことは何もなかった。
むしろそれは、やがて待ち望むほどに心の支えとなっていった。

おそらくは自分の身近にいる人物なのだろう。それなのに、直接贈り主に会ったことは一度も無かった。花や手紙は、いつも代理人の手によって届けられたからだ。


謎に包まれたその姿と本当の名前を知りたいと切望するまでさして時間はかからなかった――――            





「…さん、もがみさん…」

「キョーコちゃん!キョーコちゃん、どうしたの?!」

…?

「あ…?」


なんだか、今、変な感じが……
夢でも見ていたみたいに、我にかえったとたんにそれがどんな感覚だったのか、忘れてしまったけれど…

なんだったんだろう、今の…?

キョーコは朦朧としたまま蓮と社の顔を見上げる。心配そうにのぞきこむ彼らを見て、自分の現状を把握する。

「あ、あれ?私…」

「ああーよかったー!大丈夫?いくら起しても起きないからどうしたのかと思ったよ!蓮もなんか、変だったし…役になりきってたにしては、なんかいつもと違うっていうか…」

社はさっきまでの違和感をうまく言葉に出来ずに、うーんとうなった。

「ね、キョーコちゃんも、なんか変だと思わなかった?」

「ええと、私…よく…覚えていないんですよ…」

「え?!」

「横になったところまでは覚えてるんですけど…そこからすーっと意識がとんでしまって…寝て、いたんでしょうか?私…このせっぱつまった状況で…?」

「え、じゃあ、今の蓮の演技見てなかったんだ?ほんの数分だったんだけど、俺が揺さぶって呼びかけるまでなんだかおかしかったんだ、演技の練習って感じでもなかったし…」

「?変な事、言いますね?演技の練習は今からするところですけど」

「は?」

「そうだ、社さん、ちょっとネクタイ貸してもらえますか?」

「あ、ああ」

訳が分からないという顔の社を尻目に、蓮はキョーコの顔にくるくるとそれを巻きつけて目元を覆ってしまった。

「敦賀さん…何をするんです…?」

「何って…最上さんの役作りだけど」

「ええ…屋敷では劇中で敦賀さんが目が見えない役をするんでしたね…で、どうして、今、私が目隠しをするんです?」

「ちなみに、耳も聞こえない設定を忘れずに。自分の役に迷ったら相手の役からつかんでみるのも手段だと思うよ」

キョーコはその提案に戸惑いながらも、とにかく今は時間がないのだから言うとおりにしてみようと考えた。
とりあえず動いてみようと、じわりと歩を進めてみる。
ただ、歩くというだけの行動が、見えないというだけで今はとても心もとない。

「足元、気をつけて。段差がある」
「!」

つい立ち止まったキョーコに、蓮が小さな溜息をつく。

「耳聞こえないはずじゃ?」「っ、すみません…っ」

聞こえない演技に入りきれず、反射的に謝ってしまい、キョーコはうろたえて思わず数歩前に歩みだした。
すると蓮の言葉のとおり足元には段差があってキョーコはまんまとそれに足をとられてしまったのだった。
よろけた体は倒れることなく、誰かの腕に抱きとめられる。

真っ暗でも分かる。敦賀さんの香りと、感触。
「見えない」ということはとても頼り無い。
これに「聞こえない」も加わったら…身動きが取れないくらい怖いんじゃないかな…

キョーコは自分でぐいと目隠しを外し、蓮を見上げる目を眩しげに細めた。

「体の感覚が、感触と嗅覚だけ、って、かなり怖いですよね…今は、敦賀さんだって分かってて触れていたから、安心していられましたけど…」

それが、誰なのか何なのか分からなかったら?
恐怖で、何も出来なくならないのかな…それを怖いと思わないとしたら?
恐怖でなければ、好奇心とか?

生まれた時から、痛みとか、感触とか、振動とか、肌で感じるものがすべてなのよね?
その人は、触れる感触だけで、全てを知りたいと願うだろうか?
それは、どんな感情を生むんだろう?

そういう役を、彼はどんなふうに感じるんだろう。

「私」は、そんな役を演じようとする「彼」を、どう思うの――?





深刻に思いをめぐらせるキョーコの袖を、またくいっくいっと、誰かがひっぱる。
今度はすこしせっつくように強い力で。

「そんなに思い悩まなくっても大丈夫だから、そろそろスタンバイしてネ。日が傾く前に撮らないとダメなんだ」

「え」

早く早く!と、助監督に追い立てられるようにして、キョーコは考えのまとまらないまま重い足どりで、のてのてと自分の立ち位置へと向かった。

そうして撮影がはじまれば、役作りがまったく無意味なのだということを知り、撮り終えた後にキョーコは愕然とするのだった。



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