忍者ブログ

[PR]

×

[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。

菫色の恋 7 花枷





輝く光に囚われて

何もかもを差し出したくなる

震える胸の内、それ以外を

全て






 

 

何も見えない、聞こえないというのは、どういうものなのだろう。

彼は、それを知ることができたのだろうか?

 

 

 


扉の錆びた金具が嫌な音を発して、屋敷内への入り口が開かれた事を住人に知らせるように甲高く響く。
それは聞こえていれば、であって、中にいるだろう彼の耳にはきっと届いていない。

私は、明かりも無く、日の光がぼんやりと差し込む薄暗い屋敷の中へと、恐る恐る足を踏み入れた。

玄関ホールに飾られた、美的であったであろう調度品は埃に塗れ、どれも倒れたりその衝撃で欠けたりしている。
もう何十年もほったらかしにされているのか、ひどく荒れていて、人が住んでいるような形跡は無い。

――本当にこんなところに彼がいるの…?


そもそも、演技の役作りをしたいという彼がここを使うように仕向けたのは私だった。
名前を隠し、代理人に招待状を渡してもらったので、彼がそれに応じたかどうかまでは分からない。
ここは私の持ち物ではなく、知人が提供してくれた屋敷で、その祖父がかつて幾つも別荘を持っていた中の一つなのだそうだ、が。

(軽井沢とは名ばかりでさぁ、どうしてこんな山奥に立派な屋敷を作ったのかと誰もが思うような辺鄙な所にあるんだよ。お祖父ちゃんは気に入ってたみたいだけどね、僕は子供の頃に行ったきりで、もう何年も誰も行ってないから、もしかしたら廃墟になってるかもしれない。それでもいいなら、好きに使ってもらっていいよ)


…誰も行ってないだけあって、屋敷へと続く道も荒れ放題で、生い茂った草木に行く手を阻まれてしまい、そこでタクシーを降りるはめになったのだった。

タクシーの運転手は何度も、本当にここで降ろしていいのかとしつこい位に聞いてきた。
それくらい、鬱蒼とした何も無い山の中だったのだ。

あんた、どういうつもりでこんなところで降りるっていうんだよ?
ついこないだも、ここで降りてった客がいたけど…どこへ行ったんだか。

運転手が心配するのももっともなので訳を説明して、帰るときにはまたお世話になりますから、と約束をしたのだった。

「大丈夫です、この先に、知り合いの別荘がある…はずなので。その前に降りたっていうお客さんもきっとそこへ行ったんだと思いますよ」





思いますけど…本当に、いるのかしらね?

タクシーに乗ってきたのは確かだから、ここに来ていると思うけど…

私はぐるりと中を見わたしながら足を進める。



寂れてるけど、うーん、廃墟…っていうほどではないかも…それどころか…

――なんか、すごい…

いつの時代に作られたのか知らないけれど、西洋風の立派なお屋敷で…別荘にしては豪華すぎる。

ホールの正面には、おとぎ話の舞踏会にでもでてきそうな大きな階段がゆったりとした弧を描いて上へと続いている。シャンデリアは小さなひとつひとつのカサの上に、灰色の雪の様な塵を纏っていて、薄暗い階段を明るく照らす照明器具の役目をだいぶ長い間果たしていないのが見てとれた。

私は、階段の一段一段を、ゆっくり、確かめるように上る。

よほど人の行き来が無かったのだろう、埃だらけにくすんだ絨毯でも感触だけは新品のように足元にしっくりとくる。それを物寂しいと感じながら、私は彼を思う。主人の無いこの屋敷は、彼をどんな風に迎え入れたのだろう。新しい主が来たと歓迎するようには思えないけど…

踊り場を過ぎ、二階を見上げると左手に続く廊下が見えた。
窓には厚くカーテンがかけてあるのか、それとも窓自体が無いのか…その先は真っ暗でここからでは何も見えない。

けれど、あの先に、確かに人の気配がする…

階段を上っている間中、ずっと、その暗がりの向こうから、何かを引き摺るような音がしていた。

――こんな山奥の現実離れした空間で、一人、薄暗い階段を上っているなんて、冷静に考えたら相当恐ろしい状況よね…
そのうえ、正体も分からない何かが潜んでいるとなれば、普段の私なら一目散に逃げ帰ってるだろうけど。

私はそれを彼以外だとは疑いもしなかったから、恐怖ではない胸の鼓動を抱えて、近付いてくるその音に耳を傾けていた。緊張が高まる。もしも、彼が演技の練習中じゃなかったら、私という存在がここに来た事を、ひどく怪しむに違いない。でも、おそらく、彼は―――

 息のつまる思いで見上げる私の視線の先で、ゆらり、階段の最上段に影が過ぎる。

「…―――」


目と耳を塞いでいる白い包帯と、無造作な黒髪。乱れたシャツと、気だるげな足どり。
およそ彼らしからぬその姿に、驚く暇もなかった。
彼は、こちらに気が付いてはいない様子で、そのまま足を前に踏み出し――

落ちる、と思った瞬間に、私は階段を駆け上がっていた。

階段の最上段から転落しかかる彼の体を、ぎりぎりのところで、体当たりするようにして支える。
長身のその体を受け止めた衝撃に体全体で耐え、ふら付いて手摺りを掴んで持ちこたえた。
ぶつかった肩の痛みに私は顔をしかめる。

「…っ」

手摺と私に凭れかかっていた体を起こして、彼は不思議そうに首を傾げた。
包帯で隠れているから、表情はわからない。
おそらく、ここに人がいることを不思議に思っているのだろう。
顔の中で唯一包帯に隠れずに見えている口を、意外そうにわずかに開いて、気配を探っている。

「?」

ああ、こんな状況でも、彼は、役に入り込んだままだ…


次の舞台での役、生まれつき目も見えず耳も聞こえず、言葉も分からない男性の役。

彼は階段を、落ちるつもりだったんだ。

落ちようと思ってのことではなく、目も耳も聞こえない人物になりきっての行動だろう。
私が来なければ、演じきっていたに違いない。それは、あまりに滑稽すぎて、ひどく私を苛立たせた。



――なんて、無茶をするんです?!

叱責しそうになったけれど、かろうじて止めた。
耳を塞いでいる彼には聞えないだろうけれど、万が一のこともある…声を聞かせるわけにはいかない、絶対に誰か知らせずに去らなくては。思わず彼を支えに駆け寄ってしまったけれど、本当は、彼の姿を見るだけで帰るつもりだったのだから。

距離をとろうとしたそのとき、暗闇の中にいるだろう彼が、私の行動に気が付き、さっと腕をつかんだ。
それは、見えていないとは思えないほど的確な動きで、彼は私の心臓をもつかみ上げる。


「…君は、誰だ?」

凛とした、静かな声。

演技から解き放たれて、彼がそこに戻ってきていた。

私は、怯みを悟られないように、心を落ち着かせようと試みる。

「どうして、ここにいる?」


手探りで、腕から肩、私の顔へと、ゆっくりなぞる指先。
見えないという制限から、壊れ物に触れるかのように覚束無く、慎重だ。
さっき腕をつかんだ瞬間の、力強い指とはまったく違う。
頬から髪をすうっとなで上げるように触れられて、私は思わず息をとめる。
はらはらと、彼の大きな手にすくい上げられた髪が、その指の間からこぼれ落ちていく。

「どこかから迷い込んだ子供かと思ってたけど…女性?」

私は、はっと我にかえった。

――っ動揺している場合じゃなかった…っ
何、されるがまま触られっぱなしで呆けてるのよ…!

 ――だって、どうせ触れても、きっと、当てられないと思う。
 私だと、分からない…それなら…少しくらい、いいじゃない…

…そんな具合に自分で自分に問答し、誘惑者のほうが勝ったらしい。

彼が目と耳を塞いでいるのをいいことに私は私を探ろうとするその手を、階段の手摺りに導いてそこにつかまらせた。

そうして、さっき階段の途中に落としてきた花束を拾い上げ、急いで彼の前に戻る。

「なにを…してるんだ?」

私は、小さなカードを潜ませたその花束を手渡す。
差出人は分からない、臆病な色の花。
本当は、そっと置いて帰ろうと思っていた花束だ。
いままで何度も彼に贈ってきた花だけど、いつも代理人を通してで、こうして相手を目の前にして渡したことなんてなかった。

――本当は、ずっと、こうして直接あなたに渡したかった…
きっとこんなこと、今日だけよね――…

思わず感慨に耽ってしまったのが、良くなかった。
花に触れるなり、彼は、はっとして、すぐに私の腕を捕らえにかかる。
惚けていた私は再び易々と捕まってしまった。がっちりとつかんだ手は痛い位に強くてびくともしない。
そうして、捕らえたものを見定めようと、目と耳を厚く覆う包帯を、もう片方の手でもどかしげに外そうとしている。私の頭から、あっという間に血の気が引いていく。

「…っ」

まさか、演技を中断してまで、彼が私の正体を確かめようとするとは思わなかった。
私が慌ててその手を制止しようとすると、さっき抱きとめたその体が、逃すまいというように腕を引き寄せて抱きしめたのだった。
はだけた胸元と埃っぽいシャツに、頬が密着する。
硬直した私の思考に、彼の言葉が降ってくる。



「…君はいったい誰なんだ?どうして、俺に、花を贈りつづける?」



 

拍手

PR

Comment

お名前
タイトル
E-MAIL
URL
コメント
パスワード

Trackback

この記事にトラックバックする:

Copyright © さかなのつぶやき。 : All rights reserved

「さかなのつぶやき。」に掲載されている文章・画像・その他すべての無断転載・無断掲載を禁止します。

TemplateDesign by KARMA7
忍者ブログ [PR]