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抱きしめられたまま、どれくらい時が過ぎただろう。
「…君はいったい誰なんだ?どうして、俺に、花を贈りつづける?」
彼の顔を振り仰ぐと、その唇に笑みが浮かんでいるのが見える。
ただでさえ突然の密着にどぎまぎしてるのに、そんな心底嬉しげな艶のある微笑みかたをされてしまうと、よけい胸が騒ぎ出してしまう。
見られているわけでもないのに…なんだか直視できない。
「答えてくれないか」
逃さないというようにしっかりと、両肩を彼の大きな手の感触が包む。
――こたえる…?
どうやって、伝えよう――…?
たぶん、役柄と同じ境遇のつもりでいるのなら、きっと目だけでなく耳も聞こえないようにしているに違いない。包帯の下に隠れた耳は何かで塞がれていて、きっと声は届かないことだろう。
戸惑った末に、私は彼の手のひらをそっと引き寄せて、そこに人差し指を当てる。
(あ な た の )
ゆっくりとそう書いてみせる、が…彼は申し訳なさそうに肩をすくめた。
「すまないけど、君の意図がわからない…」
それならば、と、もう一度、手のひらに書き記そうと彼の手を取るけれど、彼はそれをさせずに私の手をきゅっと握り締めた。
「っ!」
予測外の行動に驚いて悲鳴をあげかける。
熱いくらいの体温が手のひらから伝わってきて、触れられているという実感がじわじわとしみる。
それだけでも心臓に悪いのに、そのまま私の手を、さも大切そうに、その頬に押し当てたのだった。
「ずっと、会ってみたいと思っていた。君はいつも絶妙なタイミングで俺に花を贈るから…それも必ず、心が奮い立つような言葉を添えて。それがどれだけ支えになったか――…」
そう言って、恭しく手の甲に触れる、温かな吐息。
低く紡がれる囁きが、肌に触れてくすぐったい。
なんだか、ヘンな感じだ。
今、この瞬間だけで、ものすごく大事にされているような、そんな錯覚に陥る。
「………」
問いかけに答えず、しっとりとした温かさが指先をたどっていくのを、私はうかされたようにぼうっとして見上げていた。
が。
そんなふうにされるがままにしていたのがよくなかったのかもしれない。
――ま、待って…っそんなにまんべんなく、何度も口付けなくても……っ
「っ!っ!っ…!(ちょっ、待って、ひぁ…っ)」
唇の感触と、手にキスをされる視覚にたえきれず、思わず顔をそむける。
わ…だ、だめ、見えないと、よけいに感触が…っ
って、ええ――?!
「!!!?」
唇ではない湿った感触が指先を包んだのに驚いて、素早く顔を戻す。
ひた、という水音と、彼の唇の間に僅かに見える舌先に、全身の血液が逆走する。
「き…(ああああああああああ)っ!」
ゆ、ゆゆゆ、ゆび、ゆびを――!!!
むやみにいとおしまれた右手を必死で奪還し、左手で胸元にかばうようにしてかかえる。
唇の感触が、まだ残ってる部分は触らないようにして。
――触ったら左手まで犯される気がする…!
どこの誰だかわからないとか言ってるくせに、なんて大胆なヒトなの――?!!
見ず知らずの人の手を嘗めまわ…いえ、手にキスとか、へたしたら変質者扱いよ?!
演技のことばかりで、変人扱いされているけど、変質者扱いにはされないように気をつけて欲しいものだわ――…!
ぎり、と真っ赤な顔で睨みあげた私から立ち上る、批難のオーラを感じたのか、彼は申し訳なさそうに少し肩をすくめて見せる。
「ああ、ごめん…ちょっと感激しすぎて、つい」
感激で嘗めまくるって、あなたっ、犬ですか?!
「本当に、すまない、怒ってる?ただ単に、見えていない分、感覚がよく分かるのが口だったから…
ちょっと、待っててくれないか?今、包帯をはずす、から」
その包帯のおかげで、火照っているこの顔を見られなくてよかったと思いながら、ふと、包帯の解けたところからわずかに見えるくちゃくちゃの髪の毛に、ふわふわした白っぽいものがついているのに気がついた。
――あ…髪の毛に、綿ぼこりがついてる。
ストイックな人が、こんなに汚れて埃くっつけている姿って…
こんな演技の練習をして、自分を追い込んでいる姿が、急に滑稽に思えて思わずふきだしそうになる。
それもこれも、さっきまでの本来の彼らしからぬ犬的な所作のせいだろう。
今だって、ヘンに絡まってしまった包帯を取るのに四苦八苦して、なんだか哀れというか可愛いというか。
「……何か…今、笑ったろう?」
「っ…(わ、笑ってないです…っ)」
胸になんともいえない気持ちを感じながら、私は彼の包帯に手をかけた。
「もしかして、君が取ってくれるの?」
私はうなずいて(見えてないだろうけれど)、包帯の端を探してそっと顔を寄せる。
――薄暗くて、わかりずらい…
「(ちょっとじっとしていてくださいね、敦――…)」
心の中でとはいえ、相手の名前を呼びかけたことに、はっとする。
――今、撮影中、よね……?
まさか…こんな大事な場面で…演技を忘れて、いた?
「……?!!!」
いつの間にか、相手を「敦賀さん」として接している自分に気がついて、青褪める。
――ど、どうして?!こんなこと、ありえない…!
いつから私、相手をすりかえて演技をしてた?!
そのうえ、私が敦賀さんの包帯に手をかけたまま固まってしまい、明らかに動揺して不自然な演技になっているのにもかかわらず、奇妙なことにNGの声がどこからもかからない。
――っていうか!
カメラ、どこ?!
監督達は?どこに控えてるの?!
本当にこのまま続けてていいわけ?
まさか、私たち、ほっぽらかされてる――?!
それとなく視線をぐるりと見回すけれど、人影は目の前の敦賀さん以外には見当たらない気がする。
嘘…っ、運びこんでた機材とか、いったいどこへいってしまったの――?!
ど…
どうしたらいいの?!
ここで、演技を止めてもいいのかしら?!
いいのよね?
役にはいりこめないなんて、前代未聞だし、どうしていいのか、分からないもの――
「どうした?」
動きを止めた私を、敦賀さんが不審がって首を傾げる。
「あっ、す、すみません、なかなか包帯の端がみつからなくて…っ」
かろうじて演技を続行してみるけれど、声を出しちゃいけない役のはずなのに、ついうっかり声をあげてしまった。
――あああああああ!!
もう取り繕いようもない。それなのに、監督からの演技に対してのリアクションはない。
なにこれ?!やっぱり!放置されてるんじゃない!
確信を得ると同時に、怒りがこみあげかける。
なんていい加減なの!と腹を立てる前に、ほかの思惑がそれを打ち消したのだった。
――いいえ、まって…
もしかして…私のあまりのダメッぷりに呆れて、みんな帰っちゃったとか?!
えええ?そ、そうなの――?!
そうだとしても、それってあんまりなんじゃ――?!
「そうだ、こうやって下からずらしていけば簡単にとれるんじゃないか?」
悶々とする私の前で、敦賀さんは私の決定的な失敗を気にかける様子もなく、依然として自分の包帯を取ることが最優先のようで。
コツをつかんだのかさっきの苦心が嘘のように、その指先があっさりと包帯を上へずらしていく。
その二つの眼差しがそのまま簡単に現れてしまいそうになると、私はひどく焦りだした。
「っま、待って下さい!まだ外さないで!」
――あなたに顔を見られるわけにいかないの!
「………っ…あ?」
思わず押さえてしまった彼の手を、慌てて離す。
――なに、やってるの、私……
しゃべらないという設定を無視したかと思えば、役の立場で物を考えていて、顔を見られたくないと慌てて…しかも、正体を知られたくないとばかりに、脱兎のごとく彼の前から逃げ出しているこの足は、いったい、何――?!
さっき、包帯ほどくの手伝おうとしてたのだって、おかしいでしょう?!矛盾してるでしょう?!
もう、ぐだぐだのぼろぼろじゃない――!!
後ろから、敦賀さんが呼び止める声が聞こえたけれど、自分の混沌とした演技に気が動転しきっていた私は、屋敷の玄関の扉を勢いよく開け放った。
なんで!?
どうして?!
…いったいどうなってるの?!
この撮影は?
監督は?
スタッフは?
私のこの迷走演技はぁああああ――?!
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