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2 階段を下りようとしたその時に、見覚えのある姿に目が止まった。 「あ…キョーコちゃん…」 思わず小さな声で呟いてしまってから、祥子ははっとして後ろを歩く尚を窺う。 最近の彼がよくするようになった翳りのある表情。 「あ?何か言ったか?祥子さん?」 祥子は立ち止まって、尚をふり仰ぐ。 「あ…最近、元気ないのねって言ったのよ、尚」 「…そうか?」 彼女の言う「元気」の意味が分からない。 ただ、心を占めているものが変わっただけだ。 病院にキョーコが来たあの時。 あいつの中で、俺の存在が、変化することを。 憎しみでも、それ以外の感情でも何でもいい。 もう一度、俺の事で頭を満たすキョーコを願いながら、あの時、キョーコの唇に触れた。 何が起きたか分かった瞬間、キョーコはあいつとの事を考えたに違いない。 俺とのキスを、どうやって隠そうか、 そんなふうにキョーコが、あいつとの距離を遠ざけない方法を必死で考えていたのが、よく分かって… ―――思わず、口元に、笑みが浮かんだ。 俺は、まだキョーコを悩ませる要因でいられることが、馬鹿みたいに嬉しかったんだ… 「?」 ばたばたと、キョーコが去っていったあとに誰にも気に止められずに床の上に取り残されたそれを、尚はゆっくり歩み寄って拾い上げた。 「尚?どうしたの?それ…誰かの落し物?」 キョーコが連絡も無しで突然、蓮のマンションを訪れるのは珍しいことだった。 「っどうしたんだ?最上さん…」 「つ…敦賀さん…っ」 「すごいいでたちじゃないか…何が、あった?」 「コーン?コーン、って…」 ―――ああ、あの蒼い石のことか… しかもこんな夜中に服を汚して泣き顔で来るから、別な心配が頭をよぎっていたのだ…それが、石をなくしただけと聞いて、拍子抜けした。 「………」 ―――っその顔…思ってるんだ…?! 「…で?もしコーンが迎えにきてくれたら、君はどうするつもりなの?」 「え…それは…」 「手に手をとって、彼と何処かの世界にでも旅立とうとでも?」 「…っ」 ほんのりと頬が染まる。 「へええ…じゃあ、コーンが現れたら、そのとき俺は、どうなるんだろうね?」 「へっ…」 「君は、こんなに君に尽くしている俺を見捨てて、そいつと一緒になる気なのかな?」 「そんな!コーンと敦賀さんを比べるなんて…そんなこと!だいいち、コーンは…たぶん、私になんか会いになんてきてくれません…っコーンは…コーンは…っ」 うっ…ぐしっ…としゃくりあげながら、キョーコは見る間に涙をあふれさせた。 ―――あああ…また、泣かしてしまった… 自分に嫉妬して、くだらない事を言ってしまうなんて… 「ふええええええっ…」 涙を湛えた目尻を指先で拭ってやりながら、蓮は優しく囁く。 「失くした事を気に病んでいるだろうと心配した彼は、君に会いにくる。そのときに、きっと石も持ってきてくれる…」 キョーコの返答が本気か冗談かもわからなくて(たぶん、本気だろう)蓮は苦笑して言った。 「心配しなくても、コーンとのつながりは、あの蒼い石だけじゃないよ」 キョーコは涙の溜まったままの目で、蓮をじっと見つめた。 「ん?何?」 「敦賀さんがそう言うと、本当にそうなんだっていう気になるのが、不思議で仕方なくて」 「すごく安心します…だけど…だけど…うっ」 「え…も、最上さん?」 「うええええぇええ…コォーーーーンーーーー!!」 ―――踏みとどまったかと思いきや、結局、大泣きされてしまったのだった…
それが今の彼にとって良い物なのかと判断に迷う。
恋愛は、一歩間違えば人生を左右しかねないから…
別段、気持ちが沈んでいるわけでもなく、いたって通常通りの自分だからだ。
俺は…キョーコに会いたいと思っているのだろうか。
自分に会いたがらない女を、俺は、どうしたいのかと、そればかり考えていた。
キスをすれば、二度と自分の前に姿を現さないだろうと知っていた。
その思惑は外れることなく、あれ以降、キョーコが病院を訪れることはなかった。
それで、自分の狙い通りだったはずだ。
俺は、あいつを手放そうとしたのだから。
けれども、あの時、わずかに期待もしていたんだと…今なら分かる。
知られたときを恐れ、万が一の時にはどうやって弁解しようか。
「…」
幻聴かとも思ったが、階段の下を覗くと、キョーコが誰かと話をしているのが見えた。
どうやら衣装のままのようだ。控え室に着替えにいくのだろう。
京子ちゃん、今日はもう上がり?
はい!今日は学校に行かないと!ここ暫く行ってないので!
そうか、まだ高校生だもんね。仕事と勉強の両立じゃ大変でしょう?
いえ…かえって気合が入っていいんですよ?
えーそういうものなのー?あ、私はこれからスタジオに戻ってまだ撮りがあるのよ。じゃあ、頑張ってね。
はい!お先に失礼します!
勢いよくお辞儀をしたキョーコの足元に、尚は何かが落ちるのを見た。
―――それは、運命を定める、小さな片鱗だった。
合鍵を持っているのだから、いつ来てもいいようなものだが、キョーコは必ず来る前には電話やメールで蓮に連絡をいれてから来るのだった。
そんな几帳面なキョーコが、汚れた服のままでしかもこんな深夜に訪れるとは…蓮の不安を掻き立てるのには充分な状況だった。
「コ、コーンが…っ」
「失くしたんです…っ私…あの子をどこかに落としてきてしまった…っ」
後ろ暗いことがあるから、本体の方のコーンのことかと、無駄にどきどきしてしまったじゃないか…
息を抜いて安堵しながら、蓮は屈んでキョーコの顔をのぞきこんだ。
「…あの石が、そんなに大事?」
「だってっ…あれだけが、私とコーンを繋ぐ唯一のものだったのに!」
―――彼女の、あの石に対する執着心は並大抵ではなさそうだ。
過去の自分が彼女のためにと渡した物が、これほどまでに大切に思われているとは…嬉しくないはずがない。
けれど、それを失くした事で悲しませてしまうのでは意味が無い…
蓮は、もしやと思い、訊ねてみる。
「最上さん…まさか、あの石を持っていれば、コーンが自分を見つけてくれるとか思ってるんじゃないよね?」
あまりにも夢見がちな彼女に対して、少々意地の悪い感情を持つ。
冗談のつもりとはいえ、自己嫌悪もしようがないじゃないか…
「最上さん…落ち着いて?じゃあ…こう考えたらどうかな。あの石は、コーンが拾ってくれて…」
「ひっく…コーンは、石を見つけてくれるでしょうか…もしかしたら失くしたのを怒って会いにきてくれないかも知れません…っ」
「そうか…」
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