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15
その朝、蓮の車で送ってもらったキョーコは少し離れた所で降ろしてもらい、店に向かってほてほてと歩いていた。
―――直接仕事場へ行った方が時間的に無理がなくていいんだけど、さすがに一旦だるまやに寄って着替えてから行かないと…昨日と同じ服を着ていくわけにはいかないし…
「……ふーーーーぅ…」
歩きながらまた、溜息をつく。
―――今朝はなんだか…敦賀さんの顔がちゃんと見れなかった…
同居とか…石の事とか…その他、の事とか…
どれをとっても、どうしていいかわからなくて、結論が出ない。
浮かない顔のままだるまやに入ると、奥から女将が出てきてキョーコを呼び止めた。
「キョーコちゃん?今、帰ってきたのかい?」
「おはようございます…すみません、昨日は遅い時間にお電話いれて…」
「そんなのいいんだよ、それよりそんな疲れきった表情して…いくら仕事が軌道に乗って楽しくったって自分の休みはきちんと取らないといけないよ。あんた、そのうち倒れちまうよ」
「え?大丈夫ですよ、こんなに元気ですしっ、お休みもちゃんと取ってますし」
「キョーコちゃん…」
言おうか言うまいか迷うようなそぶりをしていたが、女将はキョーコの顔色が冴えないのを見過ごせず口を開いた。
「私はね、ここに勤めだした頃のあんたに戻っちまったんじゃないかって、心配してるんだよ」
「え…?」
だるまやに、勤めだした頃の自分…?
夜はだるまや、昼も仕事をして…それでも充足感で満たされていた…気がする。
―――あの男の、本性を思い知らされる、あの時までは。
「…そりゃあの頃に比べたらはるかに今のほうが身なりもちゃんとしたし、なんて言うか雰囲気に張りがあるけどさ…なにかね、詰め込みすぎてやしないかい?…幸せそうにも見えるけどさ。だけど、自分を顧みない感じがして…なんだか心配なんだよ」
「いえ、そんなことは…」
―――ないとは、はっきり言いきれないの…かな…
敦賀さんにも、昨日の夜似たようなことを指摘されたし、
女将さんがそう言うのなら、そうなのかもしれない。
―――私…自分で思うよりも空回りしてる…?
周りの人に、そんなことで気を使われてちゃ駄目よね…
私っ…もしかして、実はけっこうはた迷惑な人間なんじゃ―――…
「キョーコちゃん?私らに申し訳ないとか思わないでおくれよ?あんたのそういう義理高いところは好きだけどね、もっと、力、抜いていきな」
「…はい」
「今日もまたすぐに出るのかい?」
「はい…でも、今日の撮りが終わったら、明日は半日お休みですし」
「そう、じゃあ明日はゆっくりするんだね、体壊してからじゃ遅いんだから」
「はい……女将さん、あ、ありがとう、ございます…」
目の下を真っ赤にして、お礼を言うキョーコを「礼を言われる事なんかなにも言っちゃいないよ、変な子だね」と笑う女将に、キョーコも、照れ照れと笑う。
―――…もう暫く、ここに、お世話になりたい…
こんなに、親身になってくれる女将さんや大将に対して、私、何もお返しできてないもの…
―――ほら、理由は、あるもの。だから…
敦賀さんのマンションに住むのはもう少し…先にしてもいいよね―――?
「やーだ!!今日は朝帰り?!」
大急ぎで身支度をすませて駆け込み、遅刻を避けられたことに大きく安堵の息をついたキョーコだったが、ほっとするのも束の間、早速耳打ちしてきた相手を実に怪訝そうに見やった。
「は?」
―――ああ、例のごとく、からかいにきたわね。今日はいったい何言う気かしら。
「キョーコちゃん?首のとこ、隠れる服着ないとダ・メ」
「?…なんでです」
「ここ、ここ。ほら鏡、かがみっ」
手鏡を手渡されて、何気なく覗き込む。
首筋を指差されて、キョーコは息をのんだ。
!っ、っ…?!
―――こ、コレは、俗に言う、キスマークとかいう…?!
き、気が付かなかった…!
っ私の首に、こんなモノがつく日が来るなんて…
思いもしなかったわ―――…!
「ああっ、キョーコちゃんたらっいったい、昨日はどんな一夜を…?!」
覗き込もうと襟首を摘んでくる手を払い、キョーコは真っ赤になって抗議する。
「…!ちがいますっ、勝手な想像でからかうのいい加減にしてくださいぃ!」
「違うの?何がどんな風に違うの?聞きたいなー」
「…っ」
「キョーコちゃんったら、顔、真っ赤」
「っっ!」
い、嫌ぁ…この人、嫌ーーー…!!!
どう言ったらおとなしく引き下がるかしら?!
ここはなんとか、毅然とした態度でこの場を離れて…
そう思いつつも、一度崩れた表情はなかなか立て直せない。
キャッキャとからかわれながら、赤い顔でじりじりと後ずさっていると、
ふいに相手がキョーコの後ろに気をそらし、声をあげた。
「あ!不破君…」
「!!」
背後に気配を感じたキョーコは、咄嗟にばばっ、と首筋を押さえて振り向く。
―――き、聞かれたの…?見られたの…?!
警戒するキョーコに、尚は馬鹿にするでも睨むでもない冷たい視線をちらりとよこしただけで去っていく。
「……」
―――ナニ、あれ…
あの顔…厭味のひとつふたつも言うかと思ったのに。
「やーだ、ジェラシーかしらね?」
「そういうのじゃ、ないですから。あれは」
「っ!?ああ、ま、さか、そのキスマークの相手…実は、不破くんだったり?!」
「…馬鹿な事ばかり言ってないで仕度されてはどうです?監督呼んでますよ?」
「違うの?じゃ、やっぱりさっきのは嫉妬?!」
「はいはい、もうどうでも」
投げやりに答え、さあ行ったとばかりにキョーコが手を振ると、名残惜しげながらもやっとのことで監督の方へと行ってくれた。
尚の出現ですっかり通常ペースを取り戻したキョーコは、彼女をあしらいながらも内心不快感でいっぱいだった。
―――嫉妬とか!するわけないじゃない、あのバカショーなんかが!
すぐに色恋につなげたがるのって、ホント困りモノね!
あの人、女優より芸能レポーターとかの方が適職なんじゃないかしら―――!
そう毒づきながらも、キョーコはもう一度、さり気なさげにちらっと鏡をのぞく。
「…っ」
―――…確かに…間違いなく…これは、敦賀さんがつけたモノ…覚えがあ…
「!!~~~~~~~~っ」
朝から極力思い出さないようにしてきたのに、感触から何からすべて蘇ってきてしまい、キョーコは頭を抱えて悶える。
っ…思い出すだけで、心臓が苦しくなるのに…
―――あの、死ぬほど甘いキスとか、引き寄せられたときの腕の強さとか。
頬や首筋に優しく触れる手とか、甘く眇められた目とか… 大きな手のひらが首筋を引き寄せたその後とか―――
そこまで考えに至ったキョーコは、いきなり、ぶるぶるぶるぶる!と身震いをしはじめ、戒めるようにぺしぺしと自分の頬を叩いた。
―――いけないいけない、正気に戻んなきゃ!あの魔力に惑わされて締まりの無い気持ちでいたらどんな落とし穴があるか知れないんだから…!
ああ、でも…吸血鬼に噛まれるときって、きっとあんな感じね…違いないわ…
魅入られたら最後、相手を恍惚にいざない…後はされるがまま…
「っ…」
自分の発想の陳腐さに落ち込んで、思考をシャットアウトしようとしたキョーコだったが、ひとつ、どうしても気にかかる事があり、不安要素であるキスマークの場所をそっと手で押さえた。
―――この赤み…もしかしてここに来るまでに会った人全員に見られてたのかしら…!
でも社さんなんて真っ先にツッコミいれてきそうだし…女将さんにもなにも言われなかった…
襟足ぎりぎり見えるか見えないかの位置だし…今日の衣装もそんなに襟の開いたのじゃないから、大丈夫よね…見えないよね?
密かにオロオロしていたそのとき、ふわぁさ、とキョーコの首に軽く何かが触れた。
「…?!」
いきなり被せられた柔らかな感触に驚き、後ろからの声にまた驚く。
「―――……あほか、おまえは」
「は…?!」
何処から持ってきたのか、キョーコの首筋にストールをかけたのは尚だった。
驚いたキョーコが振り返って尚を見上げると、目が合ったとたん、その手がびしっと止まったのが分かった。
「…?」
キョーコは、怪訝そうに尚の様子を窺う。
スカーフの端々をつかんだまま動きを止めてしまった原因が何か、
尚の意外な行動に気を取られているキョーコにはまったく検討もつかなかった。
「ちょっと?なんなのよ?」
訝しむキョーコから、尚は意志とプライドの力でぐぐっと視線を動かす。
キョーコの細い肩口に掴みかかりそうな両手も、なんとか掴んでいたスカーフを離すにとどめた。
「―――……そういうの…普通、女はもっと気をつけるもんだろが」
低い声でそう言うと、キョーコの反論も待たず、さっさと何処かへ行ってしまったのだった。
―――なに…?
…なんだか…よく分からないけど、すごく嫌なカンジ…!
敵に塩ふられたような感じ…じゃなくて、なんだろう、こう、もっと不吉な?
ったしか、前にも、こんなことがあったような気がするわ…!
あえてこっちから話しかける気も起きないしほっとけばいい、と思うけど…
何か引っ掛かりを感じながらも、このとき様子のおかしい尚を放置した事を、
キョーコはこの数日後、盛大に悔やむ羽目になるのだった。
「っ!!!」
激昂をもてあまして、尚はこぶしを握り締める。
スカーフなんてガラにもない里心を出したばかりに…はっきりと見てしまった。
…里心というより単にそれは事実をより明確に確認する為にした行為に過ぎず…キョーコが慌てて押さえた首筋に本当にキスマークがあったのか、結局は気にかかってしかたがなかったのだ。
今までだってあいつの所に住んでいたなら、何があろうとおかしくはないが…
―――あ の キョーコだぞ?!
昔と変わったとはいえ、色事にはいつまでも疎く、そういう事に関してはいつまでも抵抗があるものと何故だか未だに思っている自分までもが腹立たしい。
スカーフを首に巻きつけようとして、その首筋に朱色の跡を見た瞬間、頭の後ろを殴られたような感覚があった。
それは複雑かつ、単純な衝撃だ。
振り返ったキョーコの表情が艶めいて見えて、余計、頭に血がのぼった。
対抗心が湧き上がり、そのまま引き寄せて反対側に同じ印をつけたい衝動にも駆られた。
それをしなかったのは…それ以上にショックを受けていたからだった。
―――なにを今さら…馬鹿か、俺は!
頭では充分分かっているはずだった。
なのに、実際目にするとその事実が許しがたかった。
…っキョーコのくせに―――…!
こんな最悪の気分にさせられて、見境ない行動を起こさないはずはない。
このまま、ひとつひとつ、自分の知らないキョーコが生まれていくのを
指をくわえてみている気には到底なれかった。
尚は謀を巡らせながら、ぎりりと空を睨む。
―――いったい、いつまで、俺はこんな苛立ちに翻弄されるんだ?
他にこんなくそ面白くない状況から解放される方法があるのかよ?!
自分の企みに納得がいかず、苛立たしい声をあげて、両手で頭を掻きむしる。明日しようとしていることは、尚にとって小気味いい目論みではなかったが、今はそれしか考えつかなかったのだった。
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