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17
―――過去の自分を顧みる事なんてなかった。
関わりを保てるなら、どんな嘘をついたっていいと思っていた。
『ショーちゃんはぁ、私の王子様なの』
何の見返りもない、幼い笑顔の記憶。
感傷なんて、何も無かったはずだ。
―――それなのに、失う事を恐れてついた嘘を、今また繰り返そうとしていた。
ひんやりとした夜の空気が満ちて、街灯の閑寂とした明かりがそれぞれを照らす。
静かに、かすかだった恐れが大きくなっていく。息も止まりそうな胸騒ぎに耐え切れず、キョーコは尚に向かって激しい怒気をぶつける。
「っあんたが何言おうが、動揺なんてしない!私も…敦賀さんも!」
毛の逆立った猫然としたキョーコを満足げに眺めながら、尚は「まあ普通は信じねぇよな」と嘲笑う。
「当たり前でしょう! ?あんたがこれまでしてきた所業を考えたら当然じゃない!」
「…へえ?そうでもねぇんじゃねーの?明らかに疑ってただろ…おまえの目から見ても、そう見えただろうが」
「っそんなの…!」
反論するキョーコの声が留まる。またも尚のペースに陥っている事に気が付き、蓮の気持ちが気になってちらちらと視線を向ける。
―――敦賀さん…何か、言ってくれない…かな…
だけど…肯定されても、否定されても辛いから…
「…っ」
言葉は続かず、情けなくも黙り込んでしまった。
余程不安そうにしていたのだろう、キョーコがもう一度目を上げると、蓮の気遣わしげな視線とぱちりと合った。
「あ……」
「……」
二人が互いに言葉を欲しているのを察し、尚が反吐が出るというように眉を顰めた。
「おまえの『王子』は、どれだけ取り繕っても、所詮そんなもんだろ」
そんな捨て台詞の後にも尚はうんざり顔で何か唸ったが、キョーコの耳にははっきりと届かなかった。
そうして好きなだけ翻弄した後に、尚は石を返すこともない。
後には、乱気流に揉まれ散り散りに混乱した感情が残される。
「なにしに来たのよ、あの男は!」
嫌な空気を一掃したくて、キョーコは苛立った声を上げる。
そして、黙ったままの蓮を、強烈に意識して口ごもった。
「あー…」
―――こんなとき、何から言えばいいの…
ちらちらと顔色を窺って怯えている目を見て、自分がまた彼女を追い詰めている事に気付いた。
ほんの少し前に懺悔したことを、こんなにあっさり繰り返してしまう自分に呆れる。
傷ついているだろう彼女がこれ以上悲しまないような言葉をただ探るばかりだった。
「私にとって、特別な人は、敦賀さんと…コーンだけなんです」
不破の背中に吼えた後で、気まずそうにそう言って俯く。
穏やかな口調を保っているが、小刻みに震える体と声で動揺がみてとれる。
「だけど…もし敦賀さんが私の事を信じてくれないなら…」
彼女が、自分の本音を感じ取っていることに少し怯む。
肯定しようものなら、きっと、そのまま心からシャットアウトして、非恋愛体質へ逆戻り、だろう。
理想の型代であるコーンだけを想い、また他の誰をも恋愛対象として受け入れなくなるのかもしれない。
過去に苛立つなんて無駄なことはしたくない。
だが、彼女が不破と過ごしてきた時間に嫉妬する気持ちから逃れられずにいるのも事実だった。
「信じてるよ、あいつが、何を言おうと」
そう答えながらも、勝ち誇った不破の顔がちらついた。
疑う彼女の心と、不破に関わる総ての苛立ちを消し去りたくて、震える背中を抱き寄せる。
「―――でも…不本意だ」
「え…?」
「こんなときでも、『コーン』の名前が出てくるなんて…」
彼女が絶対的に好意を寄せ続ける「コーン」との過去。
それは、不破との過去を払拭できるだろうか?
―――もしも、「コーン」と呼んでいた人物は自分なのだと、打ち明けたら…
そう考えてから、その馬鹿馬鹿しい対抗心に目を閉じて息を吐き出した。
明かすのは簡単だが出来もしない事だ。まして彼女が信じる筈もない。
気持ちの行き場に当惑し、焦れる思いで腕に力を込めて、投げやりに言い放つ―――
「君の言う、コーンなんて都合のいい妖精はいない…もう、忘れてしまえばいいんだ」
肩が揺れる。顔を上げてこちらを見たその目は非難の色を含んでいて、心なしか衝撃を受けているように見えた。
「どうして――…敦賀さんまで、そんな事を言うんですか」
「俺まで?他に誰がそんなことを?不破に、か?」
結局、その名を出さずにはいられない。
弁明でも、肯定でも、何でも、いい。
疑うなというなら、爪の先程も疑う気持ちなんてないと答えるべきだ―――…
「私は…コーンがいてくれたから辛いときも頑張れたんです…それをあいつは全否定しました」
そう言うと、哀しげに瞳を翳らせ、その口元に苦い微笑みを浮かべた。
「敦賀さん。あいつと一緒に過ごした時間は消えないんです…どんなに酷い目にあったとしても…あんな男でも、捨てられるまではずっと、心の支えだったんです。すり込まれた依存心も、今に至る嫌悪感も、あいつに関する全部を話せる筈もないですから…」
ちりちりと胸を焦がす理由は分かりきっている。何かの都度に、こんな感情に振り回されるのだろうか。
―――その度に、彼女にこんな顔をさせてしまうわけにはいかないだろう?
「もう止めましょう…あまりにもありえない話に、ちょっと混乱して…今は…私の頭もまともに働かないみたいですし…敦賀さんも…たぶんそうなんだと思います」
そう言うなり不機嫌そうにふいと横を向いてしまった。もどかしさに、思わずその両腕をつかむ。
「最上さん…俺は」
「っいいんです、分かってますから…今日は、送って頂いてありがとうございました」
そう言って精一杯の笑顔を貼り付かせ、ぎこちなく頭を下げた彼女に、それ以上何か言うのは関係を拗れさせるだけのように思えた。
店に帰ったキョーコはいつものように閉店後のだるまやの掃除に精を出し、マイナスに傾いていきそうな頭の中が真っ白になるように努めた。黙々と体を動かしていると何も考えずにいられる。
けれども、バケツに水を汲むために蛇口から流れる水が満ちるのを待つ間、気にかけないようにしていた心の傷が疼きだす。
―――やっぱり、あの石もショータローに拾われていたんだ。
こんな事になるなら、失くしたその日のうちにあいつに聞けばよかった。
そうしたら、取り戻すチャンスはいくらでもあったのに…
あいつの口から、敦賀さんに暴露されるなんて…!
キョーコはぎりりと奥歯を噛み締めた。
―――何よ、私…ショータローが約束を守るとでも思ってたの?
あいつは気紛れに「言わない」って言っただけなのに。
そんなのを信じるなんて、なんて愚かだったんだろう…!
バケツの中に波紋が揺れるのを見るとも無く見つめ、悔いと自戒を繰り返す。
小さな泡が水流に舞上ったり沈み切ったりするのを、まるで今日の自分のようだ、と思う。
―――敦賀さん…あのとき、何て言いかけたんだろう。
『分かってますから』なんて、その先の言葉を聞きたくなかっただけで、
本当は、なんにも分かってなんかいなかったくせに…
あんな現実味のない嘘を、ほんのちょっとでも敦賀さんに疑われて…私、あのときも拗ねてたんだ…
自分勝手よね…今も、敦賀さんの言葉に傷ついて、許せないとすら思っているなんて。
それもこれも、全部、私が嘘をついたせいなのに。
ショータローに関わりたくないあまりに、石を探すのを怠ったせいなのに…
じわりと涙がにじむのを手の甲で拭って、バケツの水が溢れる前に慌てて蛇口をひねると、バケツを持ち上げようと腕に力をいれる。
そのとき、ポケットに入れていた携帯が振動し、キョーコは身が飛び上がらんばかりにドキッとして動きを止めた。
気の進まないまま携帯を取り出し、着信名を見る。
その電話が誰からか知るなり、キョーコは目を潤ませて受話部を耳に押し当てた。
「…モー子さん?」
『―――っ…まぁた暗い声してるわね…何よ、今度は何があったっての?』
鼓膜に響く声に、気持ちが弛む。と、同時に堪えていた悲しみがあふれ出した。
「っっ……モー…っううううううう―――…」
『な、なにっ?!なんなのよいきなり!泣いてちゃわかんないでしょ!』
「っ…モー子さぁん」
『だーからーどうしたのよっ?』
「―――モー子さんに、会いたい…」
『………』
奏江は、無茶言わないでよね、という言葉をのみこむ。
『…そうね』
―――私も、あんたに会いたいわ…
キョーコの、能天気な笑顔が、見たい―――…
自分では他愛もないことだと思っていた言葉とか、孤独感とか。そんなものに負けるような弱さなんて、自分には無いと信じてた。ただ、演技力を見せ付けることができれば、どんな事があったってきっと満足できると思っていたのに。
その、演技が出来なくなるなんて、思いもしなかった。
壁にぶち当たった時、あの子に励まされたからこそ、LMEに入れたようなものだった。いま再び大きな壁を目前にして、ひとりで足掻くのはとてもつらかった。
ひっぱりあげてくれる言葉が、欲しかった。
―――だから、電話をかけたのに…
そのキョーコが、弱々しい声で自分に会いたいと言う。
気が塞いでいる時に、そんなキョーコの声を聞いて奏江はたまらない気持ちになった。
滅多に湧くことのない切なさが、急速に胸にこみあげてくる。
『私も、会いたいわ…キョーコに…』
「え……?」
『………っうまくいかないの…どうして…っ?』
「え、えっ…モ、モー子さん…?!泣いてるの?どうしたの?モー子さん、ね、いやああああああ…な、泣かないでぇ…」
…その後は、嗚咽と涙声でお互い何を言っているのかも分からなかった。
「うっ、ぐず…なんだか泣いたらちょっと頭がすっきりしてきた」
『そうね…』
「なんかおかしいっ。私達、わざわざ電話で泣きあったりなんかして」
はれぼったい目をこすりながらも、笑顔がこぼれる。
『…ありがとう』
「えっ、お礼言われるような事何も言ってないのに…モー子さん?」
『はっ…ば、馬鹿ね、頑張りなさいよ、あんたから根性取ったら何も取り得が残んないんだから、ピーピーいつまでも泣いてんじゃないわよ?!分かった?!』
「う、うん…っ?」
いつもの調子に戻った奏江の声に、キョーコは戸惑いと安堵を感じる。
―――誰かに、慰めてもらいたかった。
お礼を言わなくちゃいけないのは、モー子さん、私の方だったの…
「さってと!気持ち切り替えて掃除!終わらせちゃおっと」
携帯をしまい、掃除を再開させようとしゃっきりと背筋をのばしたキョーコだったが。
ガラリと戸口を開ける音がした。何気なく振り返り、断りと詫びを口にしかける。
「すみません!今日はもう…」
客が入ってきたと思い、店の入り口を見たキョーコは瞬間、全身の血が逆巻く。
――― よ く も ま た こ こ に こ れ た も の ね !!
シ ョ ー タ ロ ー ―――・・・!
キョーコは反射的に、これから雑巾を洗うためにバケツに汲んでおいた水を尚にむかっておもいっきりぶちまけた。
「…っ!」
寸でのところで尚は身をかわして直撃を避け、店の入り口は水浸しになった。
尚は、僅かに飛沫の掛かった頬を拭いつつ、空のバケツを構えたままのキョーコと、濡れた床を見る。
「なに、すんだてめ、ふざけんな」
「それはこっちのセリフよ…!あんた、なんなのよ…!」
せっかく、モー子さんのおかげで心も新たにできたって言うのに!
一気に曇っていく心と、言い様の無い不安感が戻ってきてしまった。
「おまえ…ものっすげぇ薄幸そうなツラしてるな」
「っ!誰のせいだと思ってんのよ、私の目の前からさっさと消え失せなさいよ!」
っどこまで、私の幸せを掻き乱したら気がすむの…!
「あんたと、もう一言だって口ききたくない!」
「ああ、もしかして、あの後喧嘩別れしたか?早いとこ現実に戻れてよかったなぁ?」
どうしようもなく、頭に血がのぼった。狂気のような激憤と哀しみがいっぺんに押し寄せてきて、キョーコは、ごわん!とバケツを相手に力のかぎり叩きつけて店の奥へ走り去る。
そうして階段を駆け上がり、自分の部屋に飛び込むと、命を繋ぎとめる薬を得るかのように、カバンの中から青い石を取り出した。
石を握り締め、ぎゅうっと目を閉ざす。
―――コーン…!
けれどもしだいに、その頬が、苦しげに歪んでいく。
コーンのくれた蒼い石をいくら握り締めても、石は、もう悲しみを吸い取ってはくれなかった。
―――誰に、どう言われようと、私の中のコーンはいなくなったりなんかしなかった。
それなのに…
―――コーンなんて、いない―――…
「―――っどうして…?」
敦賀さんに、否定されただけで、コーンの言葉が、コーンの存在が、輪郭が、ぼやけて形を成さなくなってしまった。
それは綺麗な想い出でしかなく、とても遠くの夢物語だったのだとびしゃりと現実を叩きつけられた気がした。
今の自分の心に必要なのは、古い妄想ではない。その不在が、痛切に胸に刺さる。
「…キョーコ」
暗澹とした深みに心を浸し、何度も名前を呼ばれているのにも、暫く気が付かなかった。
「おいっ!」
低い声と、がんがん、と壁を叩く音でやっと我に返る。
音の方向、部屋の戸口のところに、尚がいた。
おそらく騒ぎを聞いた女将さんが招きいれたのだろう。
「っ!何よ、こんなとこまで入ってこないで!」
怒鳴りながら、手に持っていたものを尚に投げつける。
それは青い残像を残しながら、ぴしりと尚の頬を打った。
「っ」
かつんと音をたてて床に転がったその石を、尚は呆れ顔で拾う。
「おまえ…大事とか言ってたモノ投げてんじゃねぇ…」
「―――それあんたにあげる」
「あ?」
「もう悲しみなんて吸い取らない、役にも立たない石だけど」
キョーコはくすり、と暗い瞳で笑う。
「おまえ…何、言ってる?」
久しぶりに見る、澱んだ空気を纏った、壮絶な様相のキョーコだ。
「俺がいなくなったあの後、何があったんだ?」
「いいから帰って…私はね!今最高に気分が最低なんだから…あんたになんかかまってられない!」
「……」
涙をためた目でぎらりと睨みつけられて、尚は仕方なく引き下がった。
自分のしたことで泣かせる事になっても、後悔はしていない。
だが、こんなふうに自暴自棄になっているキョーコを見ると多少の困惑が残る。
「おや、もう帰るのかい?」
部屋を出た途端、この下宿元の女将とはち合わせた。
二人分の飲み物を盆にのせて…まるで娘が初めてボーイフレンドを連れて来たのを偵察しにくる母親のようだ。
「あ?ああ、すみませんでした…こんな時間にあげてもらって…今日はもう帰」
言いながら何気なく視線をまわして、部屋の戸を閉めようとするキョーコの表情に気が付いた。
尚の手が、反射的に戸を開け放つ。
ふいをつかれて顔をあげたキョーコの目から、涙が流れ落ちた。
「…!」
―――依存されても、迷惑だと思っていた。
こんな顔、させるのが、分かっていたから…?
―――そんな嘘でまた自分を誤魔化すのか?
居た堪れない気持ちで目を眇め、そっと髪に触れてみる。
そうして黙ったまま、その頭を自分の胸に引き寄せた。
「っ…ふ…ううううううぅ…」
堰を切ったように、キョーコが声をあげる。
抑えきれない涙があふれ、頬を濡らしていく。
その様子を心配そうに見守っていた女将は、静かにその場を離れ階段を降りていった。
―――気が付いたら、必死で足掻いている自分が滑稽だった。
根本的に、あの頃と変わったことなんて何も無い。
壊した先に何があるのか、考えたくもない。
こいつを、甘い言葉だけを欲しがるような女にさせたくないだけだ―――
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