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雲下の楼閣 1 スロースターター







「さ、じゃ、行こうか?最上さん」

いつものようににこやかに笑いかけ、玄関を出ようとする蓮をキョーコは慌てて押し留めた。

「あの…敦賀さん…自分が物凄い有名人だってこと、自覚してます?」

「うん…それなりの対処はしているつもりだけど?」

「…っどこがですか?!あの騒ぎをどうやって掻い潜る気なんです?!」

マンション周辺は、朝早くから彼を待ち受ける記者陣で人だかりができている。

テレビをつければ、見慣れたエントランスに群がる、マイクやカメラをかかえたマスコミ軍。敦賀蓮と京子が出てくるのを手薬煉を轢いて待っているのだ。

これじゃ、降りれないじゃない!!
おおお降りたら最後、あの群れの餌食に…!

「地味な姿なら誤魔化しもできたのに、よりにもよってピンクのつなぎ姿…っ」

「そのつなぎほど目立つ服はないだろうね…大丈夫だよ。こんな時こそ心強い味方がいるじゃないか」

蓮の言葉に、ふっ、とキョーコは乾いた笑みを漏らす。

「心強い味方ですか…今日は突然高熱が出てどうしても仕事にいけそうにないからって、私に代マネ頼んだんですよ?来れるはずないです」

「いや、もう来てるみたいだけど?」

「……はあっ?」

蓮の指差すテレビ画面に、高熱で寝込んでいるはずの社の姿。
眼鏡の奥、殺気を佩びた鋭い眼光に見据えられて、あれほど騒ぎ立てていた記者達が一瞬にして凍り固まった。
すっ、と歩を進めた社に対し、ハッとしてさっとカメラを後ろ手に隠す辺り、彼の特異体質は彼らの間でもよく知れ渡っているようだ……

遠巻きに見つめる彼らの前で、社はゆうゆうと蓮が開錠したオートロックの扉を通り抜けて行った。
もう数分もすれば、この部屋にたどり着く事だろう。

「社さんのあんな顔…初めて見ました…」
マネージャーの仕事、本領発揮といったところだろうか。あの迫力で今までも敦賀さんに群らがる人達をけちらしてきたに違いない…

ややして蓮が玄関を開け、彼を招き入れると、

「あっ、キョーコちゃーん。おはよ!」

コロッと表情を変えていつも通りの社が駆け寄ってきた。
記者達を一睨みで追い遣った人物と同じヒトとは思えない…。

「社さん…体調悪いんじゃなかったんですかっ…とっても元気そうですケド?」

「うん、何気なくテレビつけたらワイドショーに蓮とキョーコちゃんの話題で盛り上がってるじゃない?中継でここのマンション映っててさ、これはかなり困ってるんじゃないかなーって思って」

「困ってるって…誰のせいだと思ってるんですか…高熱だなんて嘘だろうなとは思ってましたが…」

ふううううと溜息をついて、キョーコは恨めしげに社を見た。

「社さん、私、この仕事向いてないです…」

うんざりとした顔のキョーコと、にこやかな蓮の顔を見比べながら、社は満足そうに顎を撫でる。

「いやいやいや…適任だと思うよ?」

「仕事中はつなぎ着てるから目立つんです!私はあることないこと噂されるのは慣れてますけど、敦賀さんにご迷惑かけるのは…」

「つなぎ着なきゃいいんだよー」

そう言って、社はふふりと耳打ちする。

「もっと蓮が喜びそうな服装でさ、あいつ絶対キョーコちゃんのワンピース姿とか大好きだと思うんだけどな~」

服装云々見事に無視して、キョーコはきっぱりと叫んだ。

「そういう訳にはいかないんです!これはラブミー部で請け負った仕事なんです!きちんと、仕事中だって事が分るようにしておかないと世間の方々が勘違いして恐ろしいことになります!そうなったら、私は責任取れるほどの力はありませんから…困るんです!」

「…真面目だなあ…キョーコちゃんは」

もう今更何着てたって、意味ないと思うんだけどね。
誰しもみんな二人が付き合ってると思ってるんだから。
責任だったら、蓮に取ってもらえばいいじゃないか。
なんて言ったら逆効果かもなあ。もう二度と仕事請けてくれなくなっちゃうかもしれないな、キョーコちゃんの場合…


この一ヶ月で何度も蓮のマンションに入っていく姿をスクープされ、不破尚との不本意な噂もまだ消えない間にそれはあっという間に世間に広まり定着した。

 

敦賀蓮、初のゴシップネタとあって、追いかけてくる記者の数も相当な数だった。
数ヶ月前に話題だったドラマで共演していた女優とあって役柄のイメージはここでもついてまわり、「京子」は美男を翻弄する悪女やら邪悪な念で虜にしているやらと散々な言われ方をされることもあった。
その反面、今まであまり知られることの無かったラブミー部の存在もクローズアップされ、周囲の人間が洩らす「京子」の堅実な仕事ぶりも知られることとなった。


ああ、もう…本当、うんざり…。

一度「時の人」になると、これほどまでにしつこいほどの加熱報道とプライバシーの侵害が待っていようとは…

ショータローとの噂が持ち上がった時もキョーコの住まいであるだるまやに大勢押し掛けられて、お店もお客様も大迷惑だったのに。
大将の「店に用が無い奴はとっとと出て行け!」の一喝で多少尻込みしたものの、記者陣は懲りずに客を装った。そうしてしつこく同じような質問を繰り替えされて、大将もほとほと辟易していたようだった。

申し訳なさに耐えかねて、女将さんの「気にする事はないよ、人の噂なんてほんの少しの間だけの事なんだからさ。キョーコちゃんさえ良ければいつまでだって居てもらってかまわないんだからね」という優しい言葉も断腸の思いで断って、そこを出てきたのだ。

とはいうものの、新しい住まいを見つけるまでどこに住もうか…

と、悩んでいる所を敦賀さんに(キュラキュラと)勧められるまま、(断る隙もなく追い詰められて)言葉に甘えて一室を借りているだけなのに。


「まったく!!
なんだって毎回有りもしない事でこんなに追い掛け回されなきゃいけないのかしら…!
事務所から何もコメントしないように言われてるけど、はっきり否定してまわりたいくらいよ。
ショータローとも、敦賀さんとも、そういう間柄じゃないのに!

「へえ?俺と『そういう間柄じゃない』なんて聞き捨てならないセリフだね」


「は…っ」

今、全部口に出てた?!

「そういう間柄になる努力、するんだったよね?最上さん?約束したと思ってたのは俺の勘違い?」

「い、いえ。そのとおりで…す…っ」

「それとも、そういう努力をしてたのは俺だけなのかな?」

「…そういうってどういう…」

「……分かってないなら俺も努力するのやめようかな」

即座に肩にかかった指がキョーコを引き寄せ、あっという間に羽交い絞めにする。「へっ?」と思う間もなく、額に、頬に蓮の唇が触れた。何が起きたのかと彼を見上げた瞬間に、キョーコはびしりと凝り固まった。

その唇が、自分の唇に重なる寸前にキョーコは大慌てでガクガクと頷いた。

「わ、分かりました、努力!努力しますから…っ」

今日のところは何卒ご出現はご勘弁を…!

「そう?」

瀕死の形相に対し、にこり、無害な笑みとともに開放されて、キョーコはふうーーーーっと脱力し、ため息をついた。

 

彼と「約束」した日から一ヶ月以上が経つ。

キョーコの恋愛恐怖症を踏まえて、彼が「夜の帝王」全開で迫るような事はなかったが、ふとした間に流れる、何とも言いがたい空気に息が止まりそうになることもしばしばだった。

甘い気配に慣れていないキョーコにとって、それはいきなり心臓に毒を盛られる気分に替りなく、怨キョ達を干乾びさせるには充分な威力だった。

敦賀さんの言葉に頷いたのは果たして間違いだったのかしら…

「とりあえず、俺と蓮が先に出るからさ、キョーコちゃんはその後でゆっくり来ればいいよ」

ぶつぶつと自問自答していたキョーコは、社の声ではっと我にかえった。

「え、でもマスコミが…まだあんなに…」

「大丈夫、大丈夫!全・部・追い払っておくから!それより、キョーコちゃん、出るときいくらなんでもそのつなぎはやっぱりキビシイと思うよ?仕事中アピールどころか、私はここにいます見つけてくださいと言わんばかりだよ、着替えて出た方がいいよ?」

「そ、そうですね…」

キス未遂のダメージが抜け切らずよろよろとしながらキョーコが着替えに行ってしまうと、社は、うふふふ…と嬉しそうに笑いながら、蓮の腕を引き寄せ、声を潜めた。

「ふふふふ…れーんー?どーう~?キョーコちゃんとの甘~い日々は~朝からいちゃついちゃっても~」

「……言っておきますが…社さんが期待されてるような甘さとはまったくもって無縁ですから」

「何日も同じ屋根の下で暮らしてんのにさ。そんな訳ないだろーこいつぅ~照れちゃって~」

きゃっきゃとはしゃぐ社をどうしたものかと一瞥し、蓮は呆れ声を出した。

「よくもまあ他人の恋愛事でそうも浮かれられるものですね…」

「何言ってんのさ、浮かれてるのは俺じゃなくてオマエだろ?俺がここに来てからもずっと、顔ゆるみっぱなしだし。あんまり幸せそうだから、からかいたくもなるよ」

くすくす笑われて、蓮は心持ち口元を引き締めた。
まあ…社さんほどではなくとも浮かれているのは確かかもしれない。


部屋を貸す間、演技指導は控えるように約束させられたのにはかなり不満があったが破る気はない。

彼女が、近くにいる。

それだけで柔らかな気持ちが心に満ちた。

それをあえて壊すようなマネをするつもりなどさらさらなかった。
無理を強いれば、部屋を出て行きかねないだろうし…

「不思議とね、そういう気には、ならないんですよ」

しれっとしてかわす蓮に、社は信じられん!と首を振り、なおも食い下がる。

「嘘だ!嘘だねそれは!好きな女の子と同じ屋根の下で夜を過ごしてそういう展開にならないはずないじゃないか!」

「普通はそうかもしれないですけどね…社さん、なんせ相手は最上さんですから…」

「いや!いくら彼女がラブミー部員だからって言っても、敦賀蓮相手だぞ?!有り得ないって!」

まったくどうしてそうまでむきになるのか、この人は…

「社さんには、わからないですよ。社さんには今、そういう相手いないでしょうから」

さらりと痛いところをつかれて、社はむうっと口を尖らせる。

「俺の話にすり替えてごまかす気だな?」

「もういいでしょうこの話は…さ、行きましょう、早いとこ群れ追い払ってもらわないと遅刻確実ですから。最上さんも待ってるみたいだし、お願いしますよ、社さん」

 

 


 

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