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雲下の楼閣 11 錠と鍵の在処

 
11



病院食のトレイには、食欲を誘う手の込んだ数種の惣菜が並んでいる。
―――どう見てもいつもの食事とは違っていて、それが特別に用意したものだと分かる…

「………祥子さん…」

「ちゃんと、食べるのよ?早く退院したかったら、きちんと食事を摂って夜はきちんと眠りなさい」

「……」

尚はぶすっとふてくされた顔を祥子に向けた。

「つーかさ…検査はひととおり終わったんじゃねーの?俺、もう帰ってもいーだろ?」

「まだ…もう少しがまんしてちょうだい。検査結果が良好なら退院日も決まるでしょうけど…」

―――今のまま無理ばかりするようじゃ考えモノよね…

祥子としては、もうしばらく病院に閉じ込めておきたい心境だった。

「だって俺、どこも悪くないんだぜ?倒れたのだってただの睡眠不足かなんかじゃねーの?祥子さんが、心配性すぎなんだっての」

「それは自分で健康管理ができるようになったら言いなさい。それより、食べてしまいなさいよ、尚」

見張るような祥子の目に耐え切れず、尚は仕方なしに箸をつける。
一口、口に入れて僅かに目を瞠った。それからまた、一口。
そうしてカタリ、と箸を置いた。
「祥子さん、これ…」

「え……?」
祥子が、組んでいた腕を緩めて尚を見ると、彼は、どうにも読み取りがたい無表情をしている…何かに動揺しているのを隠しているときの顔だ。

 

―――分からないわけがない……
当たり前のようにずっと、食べてた味。
口にしたのは久しぶりで、懐かしさすら感じる。

(できるだけ、私が作ったとはヤツに分からないようには細工してありますから! ちゃんと病院のお皿に入れ替えてくださいね!くれぐれも、私が作ったことはご内密に!)

味覚から幻聴が聞こえる気がする…
と、いうか…!!!!

「あいつはっ!アホかっ…っ?!!」

「びっくりした…いきなり大声ださないでよ、尚」

「っあれだけとりまきに囲まれてぎゃあぎゃあ騒がれてんのに、内密もくそもあるかってーの!!」

黄色い歓声やらマスコミの騒がしい質疑やらが飛び交っているのが、この病室までも聞こえてくるのだ…看護婦達も、さぞ色めきたっていることだろう。

―――普通…来るか?敦賀と!噂になるの嫌がってたくせに…!

どういうつもりなんだ…あいつ…
どんだけマスコミの喜ぶネタ提供したら気が済むんだか…
また散々好き放題話題にされるに違いないのに…

―――つーか、やつら…まさか、ホントにこのまま結…

「…っ」

尚は、むずっと箸を手にして、トレイの上の食事を、がすっがすっと突き刺すようにして箸を運び、ヤケ気味で口に突っ込んでいく。

恐ろしく不機嫌そうにではあるが、久しぶりに彼が食べる姿を見た祥子は安堵すると同時に、驚かないではいられなかった。

…―――すごい…、あれだけずっとハンストしてたのに…食べてる…!
キョーコちゃんって…ほんと、偉大だわ―――…

感心しながらも祥子は、無意識のうちに、ふうっと溜め息をついていた。
祥子の沈んだ様子に気が付いた尚は、食事を終えた後で静かに呼びかけた。

「…祥子さん」

「え?あ……な、何?尚。あ、お茶がいるわね?」

「ごめんな……俺、病院にいる間は、祥子さんの言うとおりにするから」

空になったトレイを付き返して、尚は、はーーーーと頭を抱えて、溜息をつく。

「だから明日は病院食に戻してくれ…ちゃんと、食べるから」

「え…」

「…わざわざ、こういう手をまわしてくれなくても、いい」

「―――気付いてたの…」

「ダテにあいつと何年も過ごしてない。しかも…あの大騒ぎ…気付くだろうが。普通は」

「そ、そうよね…」

キョーコには念を押されているとはいえ、元々そう隠し立てする気もなかったから、祥子はあっさりと肯定する。

―――誰が作ったかなんて、分かるはずもないと思っていたけれど…キョーコちゃんが作ったものだったら尚にはすぐにわかってしまうんだ…

「俺、祥子さんのこと、頼りにしてるから」
「え…」

不意打ちのような尚の言葉に、祥子は目を瞠る。

「頼りになるのは、祥子さんだけだと思ってるから…」

「尚…」

「だから、俺は…早く退院して曲作りに集中したいんだ。できるなら、今すぐにでも」

「え゛…」
…彼が冗談で言っているのではないのは、真剣な眼差しで分かる。
だけど―――…

「それは…私が決めることじゃないし…。大丈夫よ、尚。そんなに焦らなくても。あなたが万全の状態で復帰するのをみんなちゃんと待っているから。ほんの数日のロスなんてすぐに取り返せるわ」

「………」

なだめる祥子の言葉に、尚は黙り込む。

―――祥子さんは、分かってない。

この業界がどれだけシビアなものかは分かっているだろうけれど。
曲を作り出す時は、湧き上がってくるそのときに掴まなければ作り逃してしまう事だってある。そういう、創作する側の考え方が、彼女にはない。

譜を起こさなくても、曲なんて作ろうと思えばすぐに作れる自信はある。
けれども、今は次から次へと新しく作りたい曲がありすぎて、それを作業に移したくてたまらないのだ。

そう再三彼女に言ってきたけれども…どうにも理解してはもらえないらしい。
そうは言っても、それ以外のことに関しては彼女に並ならない感謝をしているから、そうそう無理は言えない。

―――しょうがねーな…

もう暫く、このジレンマを抱えていないといけないようだ―――…

 

 

 

 

 

 

 

 

 

尚の入院している病院へキョーコと蓮が訪れた事は、このところの悪評を拭い去るのに思いもかけず効果的だった。

「調子のいい…なーにが”仲良し幼馴染”よっ」

キョーコはテレビに向かって毒づく。

マスコミはここにきて、キョーコと尚は単なる”非常に仲の良い幼馴染”だということで話をまとめてきたのだ。

”彼氏”と見舞いに来るほどに、”仲がいい幼馴染”であって、キョーコと尚の間に”恋愛関係はない”との見解を強めたらしい。

何を弁解したわけでもなく、そんな曲解をされたのは、蓮のキョーコへの接し方が好印象だったせいだった。
芸能界トップクラスである彼の心を、それだけ動かせる女性だということが、キョーコの株を高くしたようで…
穿ったことを言う人もいない訳ではなかったが、おおむね、公認の仲にされ、好感度カップルの烙印を嫌というほど押し付けられたのだった。


「幼馴染だって最初っから言ってるじゃない!だいたい、”仲がいい”は余計なのよ!噂なんて気にしないけど、やっぱりすっごく不愉快…っ」

ぶちぶちと文句を言うキョーコを笑って「まあまあ」といなしてから、蓮は少し心配そうにキョーコを見た。

「だけど…ちょっと後悔してるんじゃないか?」

キョーコはあれから事務所からこってりと絞られ、噂に関しては容認しないという結論で解放されたのだ。

「だって…っ」

―――一緒に…少しでも長く敦賀さんと一緒にいたかったんだもの…
でも、これからはもっと気をつけないと…思っていた以上に自分の行動が敦賀さんの負担になる可能性があるんだってことに、改めて思い知らされた気がするの…


「敦賀さん…」

「ん?」

蓮は、ちょっぴり頬を膨らせているキョーコの顔を覗き込む。
その唇から、『だって、オフを二人で過ごしたかったんだもの…』的な甘セリフが続くものと思っていた蓮だったが…


「私…「だるまや」に、帰ろうと思うんです」

予測のなかった発言に、蓮の思考は暫し停止する。

「……え?」

「だるまやの…下宿先の大将もおかみさんも、私がどうしてるか気にして下さってて…噂もあんな感じだし、今がちょうどいいタイミングなんじゃないかと思うんです」

―――な……なんだそれは??
だいたい、噂は気にしないんじゃなかったのか?
いまさら…別々に住むと言い出す意味がわからない…

「もしかして…俺といるのが、嫌になった?」
「えっ…?」
「―――っ…」

―――何を、女々しい事を言おうとしているんだ俺は…!

「いや…今のままでも何も問題ないと、俺は思っているけど…君は違うの?」
「問題、ない…ですって?とんでもない!問題だらけですよ!」

―――なによりも…っ

「し…心臓が、持たなくて」
「心臓?持病でも…」
「そうじゃなく…いえ、そうかもしれません…私このまま敦賀さんと暮らしていたら、そのうちきっと心臓麻痺でどうにかなってしてしまうと思うんです…」
「それは…どういう…」
「つ…つまり…敦賀さんを…想うあまり意識しすぎてしまうんじゃないかと…っ…いつも心の準備というものが足りなくて…もっ、もう、何度、死に掛けたことか…っ!」

頬を真っ赤に染めて、切れ切れにそう言う姿は、悶絶したくなるほど、可愛らしい……

―――まったく…そんなセリフを吐いておいてどうして距離をとろうなんてするのか…それが俺にとって拷問に等しいとは、きっと思いもしないんだろうな…

「まあ…俺も限界だしね、君がそうしたいならいいんじゃないか」
「え?あっ、限界って……っはあああ!!や、やっぱり!!私が部屋を借りてた事、ご迷惑だったんですねっ…!」
「違うよ、そうじゃないって」
「いいえ!敦賀さんは優しいから…ずっと言い出せずに我慢してくださってたのに…私ったら!!気が付かなくて…っ」
「…最上さん…どういう我慢かわかってないだろう…」
「…え?」
「いや、なんでもない…なんでもないんだ……まあ…下宿先に戻ったとしても時々はここに来るんだろうから、鍵は、そのまま持ってていいだろうね」
「っ…?!」
「……最上さん…?なんで、そんな表情…?嫌なの?ここに来るの」
「嫌だなんて!そんな!とんでもないっ!」
「じゃあ、何」
「だってその…私…ここに来てもいいんでしょうか。なんだか不自然じゃないですか?」
「?うん。俺からしたら、君がここを出て行くことのほうが不自然なんだけど?」
「??演技指導ももう必要ないのにですか?」

「最上さん…本気で言ってる?」

どうっと疲れをにじませて、蓮が訊ねても。
「???」
理解できずに怪訝そうな様子なのがまた、小憎らしくも愛おしい…

「あ、私、もう行かないと!今日は例のドラマ撮影なんです!」
「ふーん?練習していかなくて大丈夫なの?」
「は?」
「あの台本のシーンだろう?」
「っ大丈夫ですっ」

練習は…もう充分だと思う…!
分かったことも、たくさんあったし…
『愛』の演じ方が分からない訳も、ぼんやりだけどつかめてきた。


震えるほど強烈に惹かれていることが…何よりも、自分自身が与り知らない所でどんどん変わっていってしまうことが怖かった。
話し方も声も仕草も、まるで別の人間のようになってしまう瞬間が怖かった。
それはきっと、ドラマのヒロインである『彼女』も。

深みに嵌まり込めば相手が自分にとって、絶対的な存在になってしまいそうで…
―――そうしたら、きっと、自分の全てを持って行かれてしまう。
同時に得られるものもあるのは分かってるけど、絶対的なものではないからいつも失うことを恐れるだろう。
私は、そうして痛みだけを残して何もかもを失ってしまうことを、ずっと、恐れていた。

―――だけどそこが、『彼女』は違うんだ…


自分の全部を彼に与えても、後悔しない。

たとえ、その想いが報われないものだとしても。

自分が傷つく事を、知っていたとしても。

相手に惹かれることを恐れているところまでは同じでも、失うことを恐れはしないところが、私とは違うんだ―――

 


 

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