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12 エレベーターが、到着するのを待つのももどかしい。 美森は、面会時間を気にかけて、駆け足で局の通用口を通り抜ける。 ―――ショーちゃん、きっと喜んでくれるよね? 身をくねらせ、顔を覆って一人照れていた美森の背後からそのとき聞こえてきたのは… 「…え?違うんじゃないですか…」 「いいや!絶対あれはキョーコちゃんだよ!おーい!キョーコちゃーん!」 「違いますって社さん…彼女なら今頃スタジオ入りしているでしょうから」 「ん、んーそうなのかー?よく見たら違う…かな」 さっきも後ろ姿であの子と間違われて、ブリッジブロックの一番背の低い人になんだか訳のわかんないこと話しかけられたわ…! 美森は、両手で自分の髪をわしっと掴んで握り締める。 ―――早く今の役が終わって欲しい。 ガラスに映りこんでいる自分の姿を見て美森はショックを受けた。 「いやあああ…もとに戻ってるうううう…」 今鷲掴みにしたのと全速力で走ってきたせいだ…!あ…ああ、でももう時間ないっ… そうしてまた走り出そうとした美森の耳に、さっきの男の声がまた届いた。 「蓮…おまえ、キョーコちゃんのスケジュールの把握しっかりしてるんだあ、いやいや、やっぱり彼氏に昇格すると違うねぇ」 「彼氏に昇格したと思ってるのは俺と最上さん以外なんじゃないですか…彼女は、俺を彼氏とは思ってないですよ…あれは、絶対」 「……敦賀、蓮?」 ばっと勢いよく振り返ると、ギンンっ と美森は敵意丸出しの眼で蓮を睨みつけた。 「あなた最上キョーコの彼氏なんでしょう?!っそんな曖昧な態度してないで、ちゃんと、捕まえといてよね!変な心変わりなんかされたら困るんだから!」 「ほら社さん…全然違ったでしょう」 「あ、なんだか…この子…どこかで見たことあるけど…蓮、知り合い?」 「いいえ…たぶん会った事もないですよ…俺は、一度会った人間は絶対忘れませんから」 「ちょっと…っあの子っ…本当に、あなたの事を好きなの?!」 噛み付くように詰め寄る美森に、困ったような顔を作って、蓮はやわらかく彼女に告げる。 「そんなことを君に応える義務は、俺には無いと思うけど?それが君に何の関係が?」 「だって…」 ―――二股なんて、かけられたら、ショーちゃんが、かわいそう。 「不安になる要因は早めに切っておくべきだと思うの。あなたもそう思わない?心配じゃないの?」 「さっぱり要領を得ないね…初対面でいきなり食って掛かられて平然と応える人間がいたら知りたいものだけど?君は、礼儀も知らないのかな」 キュラキュラとした穏やかな微笑みを返された美森は、激しく憤慨した。 ―――何っこの人!私は喧嘩売るくらいの勢いで話してるのに! 「あれ?怒った?それはそうだよね、俺も、突然意味不明に声をかけられてちょっといい気分はしていないんだけど…第一、君が誰なのかすらも知らない」 「私を、知らないの?!」 突如、ぴりり…と僅かな殺気を彼から感じて、美森はやむなく姿勢を正した。 「わかり、ましたっ。突然お話してしまい申し訳ありませんでしたっ。私は七倉美森 と申します!最上…さんからショーち…不破、さんのこと、聞いていないんですか?」 「……不合格」 「えっ、ちょっとっ!話の途中じゃない!…ですかっ」 「あっ、分かったぞ蓮っ!七倉さんって、アカトキの待望アイドルだっ。ほら、不破のPVにも出てた!キョーコちゃんの親友の天使役のっ」 「…っ、そ、そうよっ!私は、あの子と一緒に…」 ―――でも!それとこれとは話が別なのっ!! 「…そう。それでだいたい、君が何を言いたいのか…分かったよ」 「何が…分かったって言うのよっ?!」 「心配なんかいらないよ。あいつに、あの子を触れさせたりなんかしない」 射竦められて、美森は怯みながら後ずさった。 「そういえば、君、さっきまで急いでたみたいだっただけど?いいの?」 「…っ」 微笑んで促がされ、美森は無言で踵をかえすと駆け出していった。 「なに…?あの子、不破のこと好きなんだ?」 「そうみたいですね」 「で、キョーコちゃんをライバル視してる…と」 「………」 「ということは、七倉さんにそう思わせる『何か』が撮影中にあったんだと思わないか?蓮?」 ―――彼女の言う「不安になる要因」なんて、思い浮かべれば腐るほどある。 最上さんを信じている自分を、崩してはいけないんだ…絶対に―――… ―――スタジオ内には、緊張感が満ちている。 『ちゃんと演れるんだろうな?』という監督のアイコンタクトに、キョーコは彼の目を見据えてしっかりと頷いた。 カメラとセットのポジション、立ち位置をもう一度ちらりと見回して確認する。 そうして、カメラから顔が隠れるように、俯く――― 「スタート!」の声で、『彼女』は肩を大きく震わせて息を吐き出した。 ただ、彼が責立てるのを、遠くに聞いている。 抱きしめられても、愛していると告げられても、 自分の感情が彼にとって負担になると『彼女』は思っている。 ―――それが露見する、この場面。 彼が、奥底にある彼女の愛情に気付いて、問いつめる。 思いを通わせたいのではない。彼には最善の相手がいる。 ―――だから、気持ちを覚られるのが、とても怖い。 けれども、彼からそれが自己満足だと非難されて初めて感情の封印は綻び始める――― (―――君は…!君はそうやっていつも本心を俺に明かさないんだ!フェアじゃないだろう?!…俺の気持ちは、伝えたはずだ! (―――嘘を、ついたわ…!あなたに、幸せになって欲しかったから…だから…!嘘が必要だった…!本当は…こんな、はずじゃなかったの―――…こんな…こと、言うつもりなんて…なかった!) 彼の幸福を願い、自分の幸福を真っ直ぐに見すえようとしなかった『彼女』の心が、今なだれ込むように彼へと向かっていく。 激流のような激しさで、互いの気持ちを確かめ合う。 『彼女』に惹かれて、『彼』もまた、変わっていく。 そうして心がぶつかり合う瞬間は、なんて神々しくて切ないのだろう―――… カメラテストを、と、いうよりはカメラテストをしている監督を、キョーコ達は息を詰めて見守る。 「―――…んーー、ま、いいだろ、OK」 ほっと肩の力を抜きながら、ひそひそと、共演者同士が囁きあう。 「すごっ…機嫌いいわあ監督…」 たしかに、完全にとまでは行かなくても役をつかんだという確信はあったから、キョーコは上機嫌でお礼をのべた。 「よかったね。これでこのあとのシーンも順調に進みそうだし」 キョーコは大きく呼吸を繰り返し、安堵と歓びをかみしめた。 敦賀さんがいなかったら、この役もきっと、つかめないままだったと思う…――― 逸る心を抑え、携帯を耳元で握り締める。 ―――やっぱり、忙しいんだ…電話に出るなんて無理よきっと… しょーがないな…あとでまた、かけ直してみよう…――― そう考えて、携帯をカバンに戻しかけたそのとき。 「…っ」 掌の中に振動が伝わる。 慌てて電話に出ると、聞きたかったその声が、耳に響く。 ―――それだけで、嬉しくて嬉しくてたまらなかった。 ほわんほわんと夢心地で、キョーコは今日一日の余韻に浸る。 ―――はー今日は最高の一日だったっ 「で?何しにきやがったんだ…?もう来んなって、言っただろーが」 …―――最高の一日の締めがこいつの見舞いなんてちょっと不服ではあるけど。 キョーコは不満顔で、ベッドに体を起こしている尚をじろりと見やる。 「別に…アンタのために来てやってるわけじゃないわ。アンタみたいなやっかいな男の世話しなきゃなんない祥子さんがあんまりにも不憫でしょうがないから来てやってんのよ!」 「…おまえが来たからって何が出来るってんだよ」 「お弁当持ってきてあげてるのにっなに偉そうに…!私はね、あんたが一度は食べるって言い切った病院食、食べれなくて困ってるって祥子さんにまた相談されたのよ!だいたい、祥子さんは優しすぎるんだわ!かわりに私が、あんたにビシリと言ってやる!不破尚ほどの男が、いつまでもぐじぐじ病人ぶってんじゃないわよ!あんたは実力で、この世界のトップクラスまでのし上がったんでしょう?!持続させなさいよ!」 「………」 「ちょっと…何よ、人がせっかく親身になって励ましてやろうっていうのに無視する気?…ああ?!まさか私があんたを負かすのをやめたからとか言わないわよね?!ああやだっそんな殊勝な男じゃないのに私ったら勘繰り過ぎたわ!あんたは常に自分が優位にいれば満足な男だもの、追われて燃えるタイプじゃないものね」 「…っうるせーな」 怒涛のように喋った後で、キョーコは、ぐいっと力強い視線で尚を見すえた。 「あんたを脅かすものなんて、今じゃ何もないでしょう…?あんた…何に怯えて、そんな躍起になって仕事にのめりこんでるのよ?」 「だから!怯えてなんていないし、躍起にもなってねーよ」 ―――こいつは、相変わらず深く考えもしないでズバズバと物を言う。 それが、いつも妙に的を得ているから始末が悪い。 キョーコの事を考えだすと仕事に身をいれずにはいられなかった。 ―――そんなこと、口が裂けても言わない。 尚はさもうっとおしげに顔を背け、しっしっと手を振ってキョーコを追い払う素振りをして見せた。 「ごちゃごちゃ言ってないで、とっとと帰れ帰れ。帰って好き放題奴といちゃこいてろっつーの」 「っ…いちゃ…っ?!品のない、な、なんてこと言うのよ…っ」 途端に、かああああああ…と顔を赤くするキョーコ。 「………おい…?」 ―――なんだ?何、動揺してんだ、こいつ… 「あ、アンタにそんなコト言われる筋合い、な、無いわよ!」 尚は探るようにキョーコを見る。 「キョーコ…おまえ…もしかして」 「っ、なに妙な顔して…っっつ!?」 ―――指をのばして、触れるまでが、ひどくゆっくりに感じた。 キョーコの襟元を掴み寄せ、視線をふせる。 「!!っ…?!…っ?…」 避けようとする顎をとらえて、その背中に腕をまわす。 ―――胸にせり上がってくる、締め付けるような感覚。 後にも、先にも、きっと、もうない。 こいつに、キスすることなんて―――… ふせていた睫を上げてキョーコを見れば、眼を見開いて硬直したままだ。 「…キョーコ」 名前を呼ぶと、キョーコは放心状態から我に返り、やがて、怒りか羞恥からか、顔を一気に紅潮させてカタカタと震えだした。 「おまえ、相変わらず色気ねーな…」 いきなりキスをされたうえに『色気が無い』の発言。 そんなキョーコを尚は鼻先で嘲笑うかと思いきや、溜め息と哀れみの目で見つめ、しみじみと言ったのだった。 「そのぶんじゃおおかた、手ぇ出されかけて卒倒でもしたんだろ。奴も気の毒に…つーか、奇特な男だよなぁ。おまえなんかにそうそうそんな気になる男はいねーだろうに…もうちょっとどうにか努力したほうがいいんじゃねー…て、おい、キョーコ、聞ーてんのかよ?」 尚に両腕をつかまれ、ゆさゆさと揺さぶられてはっとするなり、キョーコはばんと飛びのいて病室の床の上に突っ伏し、まるで見えない相手に平謝りのポーズをとるかのようにびたっとそこに固まってしまった。 「おい…こら」 …呼びかけにも無反応だ。 ―――相変わらず、挙動不審な奴だな、おい…… 分からねー…どこがいいんだ?こんなけったいな女―――… まったく…へんなところで考えが足らない… 思わずふ、と笑いかけて、尚ははっとした。 ―――って何、いまさら浮かれているんだ…俺は…! ほのぼのしてる場合かってーの!!! 「……っ…」 時間が静止したかのような室内に、コンコン、というノックの音が響く。 「祥子さん…いったいいつになったら退院できんだよ?」 尚は、祥子が来たものと思い、カーテンの向こうへ文句をこぼす。 「お見舞いに来たよっショーちゃあ~ん…っ!…きゃ、痛あいっ!!なにこれぇっ?美森、何につまづいたのぉ…」 足元の正体に気が付くなり、可愛い声音から一転する。 「っ…ああっ?!…あんたっ!!また来てんのっ?!信じらんない!そんなところでいったい何やってるのよぉっ」 大声で喚き、病室から追い出そうと美森はキョーコを引っ張るが、その体はあまりのショックの為か床にくっついてしまったかのように突っ伏したままぴくりとも動かない。 「うーーーっ、でていきなさいよぅ~このぉっ」 「…ほっとけ、今から5秒後にはしゃっきり起き上がって豪速で飛び出してくだろうから」 「え?」 見てろよ?と促がす尚に、こくこくと頷く美森。 「おい、キョーコ、ここにおまえが来た事があいつにばれて、その上…いくら挨拶程度とはいえあんな事したのをあいつが知ったら…いったい、どうなるんだろうな?」 「えっ…それってどういうことショーちゃ…っ」 謝罪の妄想に追い立てられるようにして、キョーコは尚の予測通り、猛ダッシュ涙目で駆け去っていったのだった。 「……わあ!ほんとに出てったっ!なんかすっごい顔で出てったよね…美森すごく怖かったっ」 感心したふうに言って、すかさず尚に擦り寄る美森だったが、尚の視線はキョーコの出て行った扉の方に向けられたままで、美森の言葉に答えはしない。 ―――ショーちゃん、まだあの人のこと考えてる… でも負けないもの…絶対、あんな人のこと忘れさせてみせるんだから。
―――今日こそ、ショーちゃんのところへお見舞いに行くんだから…!
手には、たくさんの見舞いの品が入った紙袋。
それを渡すときを思い、美森はふにゃふにゃと頬を弛ませる。
手作りのケーキ、褒めてくれたりしてっ、きゃあああ!どおしよお~
「あれっ?キョーコちゃんだっ!?」
「…っ!!!」
―――この髪型のせいで!!!
あん、もう!!早くのびてよ、この髪の毛…!
あんな子に、ちょっとだって間違われるのはもう耐えらんないっ!
クランクアップしたらすぐにこの髪、カラーとエクステで変えてやるんだから!
今だって、ショーちゃんのお見舞いに行く前に、あの子と似た髪形にならないようにふんわりとセットしてきたんだ、も の…
早めに行っていっぱいショーちゃんと二人っきりになりたいんだもん!急がなきゃ!!
―――っキョーコ…?!
っていうか、そんな事、私が絶対にさせない!!
なによっなんなのよその笑い方!っ…腹立つぅっ!!
すっと脇を通り過ぎられて、美森は慌てて蓮を追いかけた。
あの子の演技にひきずられるように役を演じた。悔しかったけど、ショーちゃんの作品でいい演技ができたって褒められたのは、とても…嬉しかった…
その全てを排除できたからと言って、何かが変わるとも思えない。
キョーコにとって最大の難関だった、問題のシーンの撮りが始まるのだ。
―――涙は、出なかった。
彼が、自分に恋情を持つ事なんて有り得ないと思っている。
思い描いていたよりも淡々とした演技でシーンは進んでいった。
だから、明確な愛情表現はこれまで決してしなかった。
密かに、心の奥底に大切にしまいこんだ彼への愛おしさ―――
『彼女』はそれを毅然とした態度で否定する。必死で。
それは自分ではないと知っていたから、自分の感情など不要なものでしかない。
それなのに、何故他の女と引き合わせるようなまねをする?!)
―――相手役の俳優の声が、以前と違う。演技に真摯さが増していることに気が付いたキョーコは、『彼』が『彼女』に本気で惹かれていくのを感じてドキリとする―――
もどかしげに引き寄せられて彼から口付けられると、『彼女』の守ってきた心は、層楼が足元から崩れるがごとく、脆く崩壊してしまった。
―――衝き壊されていく『彼女』の心が、見える。
その後に待ち受けるしがらみも困難も、愛しさを引き立てる障害でしかない。
まあ、問題はこのあとだな、とりあえずこれはこれでいいだろ。
などとゆるく気だるげに椅子にもたれて座って、監督は口元を歪めてひとりごちた。
「え、あれでですか…?」
「かなり満足いったみたい、あなた達の演技に」
「よく監督の表情読めますね…私には全然満足そうに見えないですが」
「でも、キョーコちゃんだって、手ごたえあったと思っているんでしょう?この間とは表現の仕方が全然違ってた!すっごく、良かったわよぉ!」
「そうですか?!ありがとうございます…!」
「……はい…!演技をリードしていただいたおかげです…」
「何言ってんだよ、引っ張られたのは、俺のほうだろ」
「いやあ、二人とも、良かったって!」
ああ!どうなることかと、思ったけれど、本当に、良かった…!
―――どうしても報告したいけど…きっと仕事中だろうな…
けれども案の定、留守電に繋がってしまい、キョーコは小さく溜め息をついた。
しかも、元凶のくせに…それには気付きもしない。
それは、考えたくないという現実逃避でもあり、曲を作り出す創作意欲の元でもあった。けれども…
何が起きるのか把握できずに眼を見開いたままのキョーコに、尚は頬を傾けた。
その一連の動きを見てしまうと、やはり呆れ声で言わずにはいられない。
「!!!!」
キョーコは憤慨のあまり言葉も出ず、くわっと口を開けたまま再びかちりと硬直してしまった。
「おい…これに懲りたらもう軽々しく動くなよ。おまえは役を大事にする女優なんだろ。ちったあ自重しろ」
見られてもいない不可抗力すら気に病む馬鹿真面目な性格の癖に、やることは迂闊そのものだ。だいたい、今コイツが考えている事は、手に取るように分かる―――…
頭を抱えた尚と、平たい体勢で固まるキョーコ。
直後に、中からの応答も待たず病室の扉が開く気配がした。
たが、尚の耳には祥子のものではない能天気な声が飛び込んできたのだった。
『―――いっ…いやああああああああ!!!!!』
ぎゅっと、尚の袖口を握り締め、美森は頬に触れている腕の温かさに眼を閉じた。
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