[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
5 「どこに…」 手を離したら、 あの男のマンションへ そんな当たり前のような顔で戻るのか…―――? 「ちょっと…離しなさいよ」 「帰るな…」 「……っ何?!」 抱え込んだ腕の中で、キョーコの声がくぐもる。 なんで…――― なんで、俺が、こんな感情に苛まれないといけねーんだよ? 「ちょっ…は、離して…っふざけんのもいい加減にしなさいよ…!」 力ずくで捕獲されていることに動揺し、キョーコはもがもがと抗議の声をあげる。そんな抵抗も、尚に対しては無意味だった。 次の言葉が告げられずに、尚はぐっと抱きしめる腕に力をこめる。 尚らしくもない言動に異変を感じたキョーコが、俄かに落ち着きを取り戻し、訝しげに訊ねる。 「どうしたのよ…何か、あったの…?」 「………」 「私なんかに縋らなきゃならないほどの事って、何よ?よっぽどの事がないかぎり、他人に弱みなんか見せないくせに」 「………」 「言いなさいよ」 「…おまえ、俺を、どう思ってる?」 「はっ?!」 「だから!俺がおまえにしてきたことに対して、どう思ってんのかって聞いてんだよ!」 「ショータロー…」 ―――何を今更そんな事を聞いてくるかと思ったら… 「そんなこと……気にかけてくれなくても大丈夫よ。私は、もうあの頃の自分とは違う。自分で立つべき場所もちゃんと分かっているから」 まっすぐに見つめ返すキョーコの眼差しは揺るぎが無い。 「だからわざわざ私の復讐をうけてたつことなんかない。それが私への償いだとか義務だとか思ってるなら…それはまったく無駄な気遣いだから」 尚は失笑しようと頬を歪めた。 「…は…っ、俺がおまえに罪悪感持って復讐をうけてたってるって言いたいのかよ…」 ―――俺は、こいつに悪いなんて思ってない。 ただ、復讐心を受け続ける事が、キョーコとの繋がりなのだとしたら。 その執着が薄れているのだとしたら、この先自分とキョーコを結びつけるものは一体なんなのだろう? 「それ」以外には何も残らないのか――― 緩んだ腕からするりと抜け出して、キョーコは晴れやかな笑顔で笑った。 ―――なんで、だ…? 今、確かにこの手で触れたのに…まるでそれは実体が無いかのように不可解で、自分の知っているキョーコではないように思えた。 ―――違う…俺は… 手にいれるとか…そんなことを望んでるわけじゃない… ただ、あいつの考えている事を以前のようにリアルに感じることができないのが苛立たしく物足りないだけで。 ―――なのに、あいつは―――… 「…―――そんなに腐れ縁がなくなるのが、嬉しいかよ?」 だあああ!いや待て、待て! 尚は煩わしげに眉根を寄せた。 「ああああああ!めんどくせぇ!!俺が帰んなって言ったら、帰るんじゃねぇ!」 「はああ?!何よそれ!」 俺は、こいつを、帰したくない。 「つまり!お前は!俺の家政婦だろうが!家政婦らしく俺の言う事お文句言わずに聞いとけ!」 指を突きつけ苛立たしさのあまり思いきりそう叫んだ途端に。 ピシッ、とその場の空気に亀裂が走った。 「っ?!」 やばい!と思ったときには…もう遅かった。 「ぐあっ?!!」 「!!!!」 『人が寛大な心で赦してやろうとしてるってのに傍若無人なその発言…いい度胸ねえぇ…?覚悟はできてんでしょうねぇえぇ?』 …っどこから声が―――…? 地の底から響くようなおどろおどろしい声を最後に、この日の尚の記憶は途切れたのだった… :::::::::::::::: 「…………」 一気に蘇って来る記憶。 ずーんと重々しい空気を背負った尚の様子から察して、祥子は一つ溜め息をつく。 「…早く仕度しなさい、遅れるわよ」 それはもう、最悪だった。 そして気分はどん底状態の、今に至ると。 ―――ったく…何やってんだよ…俺は… 混沌とした痛みが響く頭をもたげて祥子を見上げる。 「尚?なに…」 自分を見下ろしている彼女の腰をさらうようにして奪う。 キョーコの髪に触れたときの、あの眩暈のような感覚。 「……っ…?」 祥子は尚を無理矢理引き剥がすようにしてその頬に触れ正面から見つめる。 「いったい…どうしたの?尚…ひどい顔色よ…」 「…っなんでも…ない…」 ―――嘘を、ついたわ… あなたに幸せになって欲しかったから…だから… 嘘が必要だった… 本当は…こんな、はずじゃなかったの―――… 「!」 ぎらり、と殺気立った目でキョーコを一瞥する。 そして、監督不在となった現場はにわかに音を取り戻す。 「…休憩!休憩はいりまーす!」 「珍しいね、何回目のテイクだった?」 「っすみません…」 「いや、責めてるわけじゃないから。監督ヘソ曲げちゃったから今日はもうこのシーンは無理だね。ま、俺らにしたらいつものことだね」 「でも初めてね、あの超気難しい鬼監督に一発OKもらい続けてたキョーコちゃんがダメ出しされるの」 共演者の言葉に、キョーコは、うにゅ…と哀しげに頬を歪めて小さくなる。 「す…すみません…すみませ…」 「ば、馬鹿ね!落ち込むことないわよ!凄い事なのよっ、奇跡に似たりよ?!知ってるでしょっあたしなんて何回ボロクソに扱き下ろされて何十回何百回撮り直しさせられたことか!」 「はは、何百は大袈裟だろ」 「まあそれくらいの精神付加はあったと言いたい訳よ、キツイわよぉあの目で睨まれるのは。ねっキョーコちゃん」 キョーコはぐしっと鼻をひとすすりすると、正座した膝の上できゅっとこぶしを握り締めた。 「人を好きになるって…」 「え?」 「…どういうモノなんでしょうね?」 がっくりと肩を落とし、曇った表情のキョーコ。 わたしには、やっぱり解らない――― ―――人を愛すなんて… 愛された事も、愛した事もないのに――― 「最上さん?」 洗いものを片付けている最中、ぼんやりとしていたキョーコだったが呼びかけられてはっと我に返った。 「あ…」 「また今日の撮影の事で悩んでる?」 「………」 キョーコは唇を結んで黙り込む。 あれからずっと考え続けていたけれど、未だどう演じていいのか答えは出ないままだった。 囁くように? どのパターンでやっても、OKもらえなかったのは、私自身でも納得いく演技じゃなかったから…当然だ。 『好き』という感情と、何が違うんだろう。 私は、誰かを愛しいって感じた事…ない… まして、『狂おしい』ほどって… もう未知の世界…理解不能だわ… 好きだと想う相手だったら、友達やお世話になっている人達が次々に思い浮かぶ。 恋愛感情が絡めば、きっと『愛おしい』になるんだと思うけど… 「体験した事のない気持ちを演じる事は、今までだってあった筈なのに…どうしても、つかめないんです」 役に入り込もうとすればするほど、苦い想いばかりが胸を過ぎっていく。まともに考えてたらぐらぐらと煮詰まってきてしまって… 「今度のは…どうしても、解らなくて」 「最上さん…」 「?」 「このシーン…」 「え」 「練習相手になろうか?」 「へあっ…い、いいですっ」 キョーコは慌てて、いつのまにか蓮が手にしていた台本を奪い返す。 「遠慮しなくてもいいのに。利用できるものは利用したらいいじゃないか」 「敦賀さんにとっては練習かもしれないですけど…私にとっては練習じゃないですから」 っまずい気配…っ…に、逃げ… 「っ?!」 「俺だって、練習だなんてこれっぽっちも思ってないから」 こ、これっぽっちもって…?! 「ひっ…?そ、そんな、いえ、そうでなく!」 「そうじゃなくても…演技、させてあげられるけど?」 いいえ!結構です! なんてきっぱり言って手を払いのけられる雰囲気じゃ、既に無い…! っここはひとつ思いっ切り話題を変えるしか! 「き、昨日、ショータローに呼び出されて、会ってきたんです!」 「…え…?不破に?」 唐突に出てきたあまりいい響きではない名前に、怪訝そうな表情をする蓮に向かって、キョーコは慌てて捲くし立てる。 「っ、これだけは信じてください。私…もうあいつを前にしても、全然平気で…そりゃあんな奴だから話をしてると否が応にも腹は立つけど…でも…本当にろくでもない男だってただそれだけで…憎いだとか、苦しめたいだとか、そういう醜い気持ちがずっと心に染み付いていたはずなのに…」 相変わらず不器用な性格をしている尚の事を、なんだか可愛げがあるなんて思うほど心にゆとりがあった。 キョーコはふっと微笑む。 「こんな気持ちでいられる日が来るなんて…嘘みたいで…」 「へえ、どんな気持ち?」 「なんていうか…心穏やかで微笑ましい感じ…?」 「…それは、不破のことを考えて?」 「ちち、違います!まったく逆で…!どういう感情にも考えなくなったのが、とても晴れやかですがすがしいくらい!!」 「そう…もう恨んでないんだ?」 「恨みは無いと言い切れないかもしれないけど…ただ、もう復讐したいとか、まったく思わなくなってる自分が、嬉しくて…」 「でも…相当根の深い感情だったんだろう?そんな簡単に吹っ切れるものかな…最上さん…嘘、ついてるんじゃないのか?」 「嘘じゃありません!ほ、本当なんです!」 むきになるキョーコに、蓮は可笑しげに笑いながらそっと歩み寄った。 「うん…分かったよ」 差し伸べた手が宥めるようにキョーコの髪を梳く。 「…ホントに、信じてくれますね?」 「疑り深いな、あまり念を押されると逆効果だよ?だいたい、最上さんが嘘ついてるかどうかなんてすぐわかるから」 ちょっとからかっただけだよ、という蓮の声がキョーコを包み込む。 ―――敦賀さんは、温かい… 抱き寄せてくれる腕も、なんて優しいんだろう… 「…よかった…敦賀さん…」 ぬくもりを確かめながら寄り添い、安堵の溜め息と一緒にキョーコは小さな小さな呟きをもらした。 その途端、微小なその言葉を聞きとって、髪を撫でていた蓮の手がぴたり、と止まる。 「最上さん…?」 「…え?」 「今、何て言った…?」 「?」 「敦賀さんに信じてもらえて、の後…」 え…何か言った私…? なにを私は今… …………今…… うっとりするほど心地良くて、無意識のうちに呟いた言葉は… っ!!!!!!! あぁああぁーーーー… っ、信じられない…恐ろしいことを! この口は―――…!! 「はっ、う…ぁ、つっ敦賀さんっ、だ、台が、その、スキッとしましたね!って」 尋常でない慌てようでその辺にあった布巾を掴み、飛ぶようにテーブルのところへ行くと、強張った笑みを貼り付けてさかさかと拭いてみせる。 「………」 ―――絶対、からかわれる…いいえ、それどころか、この後、一体どんなセクハラを受けることか! 恐る恐る振り返る。けれども蓮の表情は固く、怒っているようにも見えてキョーコの心臓は一瞬で冷たく震える。 「え…」 ―――きっとからかい交じりの笑みを浮かべているに違いないと思ってたのに… どうして―――? 「つ、敦賀さん…?」 おどおどと顔色をうかがう様にして声をかけると、キョーコの視線に気が付くなり、ぎこちなく視線をそらされてしまった。 「…ああ、言い忘れてたけど、明日からロケ撮りで一週間帰らないから」 そう言って、すぐに瞼をふせ、キョーコとは目をあわせないようにして自室へと行ってしまった。 ―――敦賀さん? からかわれると思ったのに。 きっと私が変なことを言ったから、敦賀さん怒ってしまったんだ… それに…うっかりあんな事言わなきゃ、もう少しの間、敦賀さんに抱きしめてもらえていたかもしれないのに―――… ―――え、抱き………ぁ?! 食器を棚に入れようとしていた手元が狂い、重ねていた皿がガシャガシャンと派手な音をたてる。 なっ!そんな、不謹慎なこと! 青ざめた顔でそう嘆きつつも、キョーコはきりりと軋む胸元を押さえる。 ―――だけど… 苦しくてしかたないのはどうしてだろう――― 敦賀さんが、私みたいな人間と一緒に居てくれる。 ただでさえ、彼に依存しすぎているのを自覚しているのに。 それを改めて認めるのが…たまらなく怖かった。 それなのに『怖い』と感じる。 それは、私の知らない『敦賀さん』に。 それから、『私』を知らない敦賀さんに対して…
「とにかく!あんたなんかの心配は私には無用!たいした用がないなら、帰るわ!」
ぐいーーっと押し返され、素っ気無いキョーコの声で、尚は我にかえった。
―――帰る?
「は?」
「どこに帰るって…キョーコ…」
…―――アイツの、所へ?
…―――っ冗談じゃ…ねぇ……
「…―――ここにいろ…俺は…」
その髪に頬を寄せ、抱え込むようにキョーコを抱きしめているのに、総べもなく腕からすり抜けていくような感覚にとらわれていた。
「…ショー…タロー?」
何を告げていいか分からないでいる尚に、キョーコはふ、と笑いかけた。
「まっ、なんにしたってもう腐れ縁にこだわることはないわ。今度こそ、さよなら『不破さん』」
困惑のまま、尚は思わずその微笑みに見とれる。
表面で見る限りは何も変わっていない、地味なキョーコのままなのに。
あんな女、欲しければ力ずくででも、手にいれればいい…
誰よりも近くにいて、誰よりも知り尽くしていた存在だった筈なのに。
「嬉しいわね、ホーント!せいせいするわ」
「…っおまえ…っ」
コイツが何言おうが、何処行こうが、笑顔を見せようが、怒ったり惑わされる必要なんてないだろが!
俺は俺のしたいようにすればいいんだ。
つまり…つまり俺は―――……
どうにも頭の中がこんがらかってきて、考えがまとまらない…
それだけは、はっきりしているから…つまり…
「だああああれがあ家政婦ですってええええーーー?!この馬鹿男おぉ!!」
「尚、起きなさい。時間よ」
「…………」
頭が、ガンガンする。
「何度も電話したのよ。繋がらなかったけど」
頬をさらりと撫でていった手が、甘い香りを残していく。
目を閉じたままで、尚は気だるげにそれに応える。
「…ああ…わり」
―――何だ…電話に気が付かないくらい熟睡していたのか…
「それとも昨日の夜は、電話に出れないような状況だったのかしら?」
―――昨日の夜…
結局、いつ帰ったのか分からないまま、キョーコの姿は部屋から消えていた。
自分のペースで話を進めるはずが、自分自身の感情が分からなくなって…結局のところキョーコに諭され、最終的にはとんでもない現世離れした体験をさせられ―――…
そのままベッドへ引きこんで抱き寄せるけれど、ふわりと甘い香りを纏った柔らかな長い髪も、心を逸らせることは無かった。
それ以上の甘さと熱に酔えると思ったのに。
満たされないのが腹立たしく、心がどうしようもないほどに荒れていく。
尚は塞がらない感情を隠すように、震える睫を閉じた。荒く息を吐いて、呪縛のような痛みに耐える。普段の尚からは窺い知れない苦しげな表情に、祥子はどうしていいか分からなくなる。
―――灼けつくような胸の痛みから、逃れようも無かった。
キョーコが、相手役に縋る直前。
膨れ上がった感情から湧き上がる涙が、瞳から溢れるその前に、椅子を蹴倒すけたたましい音が鳴り響いた。
その眼光の鋭さに、すべてを見透かされた気がしてキョーコは凍り付く。
暫くの間、その場は時が止まったようにシーンと静まり返った。
誰も、何も言葉を発しようとはしない。
そこにいた誰もが、彼が台本を足元に叩きつけて無言のままスタジオを出ていくのを見送るしかできなかった。
困惑する相手を気遣う余裕もそこには無い。
あのシーンのあとの『狂おしいほど、愛しい』って台詞がまたさらに掴めない…
感極まったように?
歓びに溢れるように?
それとも…
愛しい…か…
だけど、気が狂いそうに好きーーー!なんて熱い感情は誰に対したって持っていない。
持っていたとしても、それは、深い友情(モー子さんv)以外に無い。
私には、それが、ない。
「………」
「なんですか」
「へえ…」
何でそんなに嬉しそうな顔?!
あんなに密着しても、動揺したのは最初だけで、小さい頃と何も変わってないショータローに気が付いた後は変に意識することも無くなっていた。
それがとても心地好くて、キョーコは口元をふうっと緩めた。
―――数秒前を、リプレイ―――
「最上さん?」
キョーコはぺタリとテーブルに手をついた。
パニック状態とはいえ、いくらなんでもあんまりな誤魔化しように自己嫌悪しつつ、カーッと顔を赤らめながら身構える。
理由も分からず急にそっけなくなってしまった蓮に、キョーコはひどく戸惑う。
あんな露骨に避けられてしまうなんて―――
さっきまで彼に触れていた手が急に寂しく感じられて、キョーコはしゅんとしながら、とぼとぼとキッチンに戻って食器の片付けを再開しだした。
あんな風に嫌がられるんなら、まだ、馬鹿にされたりからかわれたりされるほうがよかった―――…
この脳ミソはっ…なんと愚かしいコトをいつから考えるように…っ
言うつもりなんか無かったのに、自分の意思に反して、この口は勝手に『大好き』だと言ってしまった。
それを聞かれてしまったとたん、そっけなくされて…心が痛くて…
触れていないと不安な気持ちがどんどん募っていくなんて…
それだけでも有り得ないと思うのに。
まして「大好き」なんて…恐れ多い気がして、二度と口にだせそうにない。
私は、敦賀さんを、尊敬している。
≪ 雲下の楼閣 6 歪みの矯正 | | HOME | | 雲下の楼閣 4 揺らぐ遠景 ≫ |