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6 いくら気持ちを塗り固めても、 封印を、解いてしまいたい衝動に駆られる。 過去を思い出す間もない程に、それは刹那的で性急な衝動で。 ああ…明日からの準備、してるんだ… 「敦賀さん…怒って、ますよね」 怒っているなら、謝らなきゃいけない。 そうよ…謝りに来ただけなんだから。落ち着くのよ―――… 「あの、すみませんでした…私、敦賀さんの気に障るようなこと言ってしまって…」 「…気に障ること?」 キョーコはどきりとして口ごもってしまう。 「だから、その…さっきのですね…あの……っ…」 「不破の事?だったら、別に…何も怒ってなんかないよ」 ―――じゃあどうして、こっちを向いてくれないんだろう… まるで、早く部屋から出て行けといわんばかりに、言葉もどこかそっけない。 会話の糸口を掴みたくて、高鳴る胸を抑えて思い切って告げる。 「…つまり…その…っ」 拒絶を恐れながらも、キョーコは無意識のうちに少しづつ彼に近付いていた。 その背中を見つめていることが、どうしようもなく切なくて――― そんな感情から逃れるために…私は… 敦賀さんに―――… 「…っ」 うるさいくらいの激しい鼓動が、触れた背中から伝わっているに違いない。 っっど、どうしよう…この体勢から、動けない…っ――― きっと、変に思われているに違いないのに… 「…たぶん、何?」 「…!」 「それは、演技指導とは別?」 掠れていつもより低くなった声が、体中に浸透するように響く気がした。 「………っ…」 そんな、こと…望む自分が、怖くて…だけど―――… 恥ずかしさで声も出せず、黙ったまま顔を上げられないでいると、ふいにくしゃくしゃと頭を撫でられた。 大きな手に頬を包まれ、優しく上向けられると、まるでそうする事を知っているかのように自然と瞼がおちてきた。 ―――それは、心臓が、止まるような瞬間だった。 身を屈める彼の、伏せられた眼差しを最後に視界は閉ざされ、淡く、かすかな感覚で、唇に何かが触れる。 柔らかく優しい感触が、キョーコをいたわるように唇へ触れては離れる。 ―――怖い。 ゆっくりと、離れた唇の近さを確認するように、お互いの視線が触れる。 キョーコがぎこちなく俯くと、蓮はもう一度強く抱きしめ、吐息で髪を震わせた。 キョーコの中にある不安感が、蓮の言葉を恐れて、大きく揺れだす。 「……あ…の…わ、わたし…っ」 必死で、唇を動かす。 「……す、すみま、せ…っ敦賀さん…ご指導のおかげで、きっと監督のOKもらえる演技が出来ると…っ」 「………え…」 呆然とする蓮の顔を、キョーコは見ない。 「…遅い時間に、お邪魔してしまい、すみませんでした…」 言いながらキョーコは、蓮の胸から離れようとするけれど、体に力が入らずよたついてしまう。 「……最上さん…」 「っ、だから言ったじゃないですか…っ。敦賀さんとじゃ、練習にならないって…練習にしては、威力が、すごすぎるってわかってた、から…」 俯いたまま、懸命に元の自分に戻ろうとする。 「!」 …―――敦賀さんが謝ることなんて何もない。 「っ…」 言えずに、キョーコは、僅かに首を横に振る。 「…もっと、ゆっくり、最上さんに合わせて演技指導しなければいけなかったのに」 ―――演技指導… なんて勝手なのかしら… 自嘲しながら、キョーコは見え見えの嘘で、本心を封じ込める。 「いいえ、ありがとうございます…敦賀さん」 ―――押さえ込んでおかなければ…敦賀さんの、側にいるために… そうしないと、彼の側を逃げ出したくなるから。 それを理解してくれる敦賀さんに…私は結局甘えがあるんだ… 私は、卑怯だ―――
―――欲が出る。
自分をコントロールするために、
―――押さえ込んでおかなければ…このまま側にいるために…
コツコツ、と彼の部屋の扉をノックする。
中からの応答にキョーコが扉を開けると、蓮は背を向けたままで、やはりこちらを見てはくれない。黙したまま、綺麗に折りたたまれた服をカバンに詰めている。
―――こんな気持ちのまま一週間、会えないなんて…嫌だ…
―――それに、話を微妙に逸らされた気がする…
ショータローのことが原因だなんて思わないけど…
「あの…きっと、敦賀さんのおかげだと思うんです…私が、アイツのこと何とも思わなくなったのは」
けれど、彼は向こうをむいたまま手を止めただけで返事をしない。
「私、たぶん…」
切ない気持ちが溢れてきて、苦しい。
考えるよりも先に体が動いた。ふらふらと近寄り、ぺたんと膝をつく。
そうして気が付けば、惹きつけられる様にしてその背中にそっと頬を寄せていた。
そう思うと自分のしている事が取り返しの付かない馬鹿な事のように思えて、死ぬほど後悔せずにはいられなかった。
けれどすでに引っ込みが付かない…黙り込んだまま、ただ彼の体温を感じているしか術が無かった。
―――っ…な、なにやってるの…っ…私…!
こんな妙な事をしても、身じろぎもしないなんて…
関心が無いとしてもあまりにも無反応で、キョーコはなおさらにどうしていいかわからなくなる。
何か、言わなければと思うのに、胸がぎゅうっとしめつけられるように辛くて、言葉なんて出てこない。
…―――も、もうこうなったら、脱兎のごとく逃げるしかない…?
自分の行動に収拾をつけぬまま、思い切って逃げだそうと体を離した瞬間。
振り向いた彼に、背中に触れていた手を引き寄せられた。
掴まれた手のひらの熱さと、待ち望んだ返答。
胸の鼓動が増して、かあっと顔が赤らんでくるのを感じながら、キョーコは目を眇めて、こくり、と頷いた。
―――触れたい、なんて言えない。
その手のひらの温かさに力を得たようにちらりと目をあげると、思いのほか穏やかな彼の瞳にとらわれる。
甘くて切ないような軋みを胸に感じながら、それがどういう感情なのか、伝えたい気持ちに駆られるけれど、口に出しようもなくてもどかしい。
そうして幾度も眩暈を覚える…もう立っているのか座っているのか―――自分を強く抱きしめる腕が、体を支えてくれているのもわからないくらいに、全身の感覚を見失なわせる高揚感と不安が心に満ちる。
解らない『愛おしい』が。
とても、怖い…―――
今、できることといったら、声を出すのが精一杯だった。
手も、足も、麻痺してしまって、動かない。
「最上さん?」
「うん…そうだね。ちょっと、欲出してしまったみたいだ…ごめんね?」
私が…敦賀さんを―――…
キョーコの泣き出しそうな顔を見つめて、蓮はその瞳に影を落とした。
自分からその言葉で距離をとったのに…ひどく、胸が痛んだ。
どうあっても、彼が、自分の中心にいるのに、それを認めようとしない。
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