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8
突然、フラッシュがたかれて、キョーコは身を竦めた。
「京子さんですよね?女優の!この病院へは不破さんのお見舞いに?」
「不破さんとは、現在どういうことになってるんですか?」
マスコミに怯んだキョーコの腕を誰かがぐいっとひっぱっり寄せる。
「キョーコちゃん、こっち!」
「!祥子さん…」
「…ごめんなさいね…こんなところまで呼んで…」
「いえ…一体どうしたんです?祥子さんがそんなに取り乱すなんて…あいつの容態、そんなに酷いんですか…?」
すたすたと早足で病室へ向かいながら会話を交わす。
個室らしい病室の扉を開けて、祥子は、ぴたりと足をとめた。
すらりとした、その背中が震えている。
「祥子さん?」
「…っ…つい、さっきまで…キョーコちゃんのことを話してたのに…」
「え……?」
―――どういう、こと?
両手で顔をふせる祥子の脇をすり抜けて、
キョーコは病室のカーテンを開ける。
ベッドには、誰もいない。
「嘘…でしょう…?」
嫌な予感に、ざあっと、体中から血の気がひいていく。
―――そんな…
ガクガクと、震えがきて、キョーコは自分を抱きしめた。
掠れ声しか、でない。
「嘘…ショー…」
頭のてっぺんから全身が喪失していくような衝撃に、キョーコは立っているのがやっとだった。
と、祥子が頭を振り、嘆きを吐き出したのだった。
「あの子…!ちょっと目を離すとすぐにいなくなって…っ何度病院抜け出したら気がすむの…!」
「…―――へっ…?」
「キョーコちゃん、ちょっとここで待っててね?すぐ見つけて連れ戻してくるから!」
「あ、あの、祥子さん…?」
状況が飲み込めず、呆けた顔で彼女を見た。
悲しそうにしているのかと思っていたその顔には、むしろ怒りが浮かんでいる。
「せっかくキョーコちゃんに来てもらったのに!あの子ったらまたどこほっつき歩いているのかしら!!」
「………は…」
キョーコは自分の勘違いに気が付いて、その場にへたりこんでしまった。
「え?ええっ?キョーコちゃん?!どうしたの?」
「な、なんだ―――…て、てっきり…っ」
―――紛らわしい…っ
あの夜に会ったのが
最後だったのかと
思ってしまったじゃない―――……
「何よ。病院に入院したって聞いたから、瀕死の重症かと思ってたら全然元気なんじゃない」
キョーコがぶんむくれて投げ捨てるようにそう言うと、尚は迷惑そうにキョーコを見やった。
病室に強制的に連れ戻され、祥子に無理矢理にベッドに押し込められて少々不機嫌そうだ。
「馬ぁ鹿。おまえに関係ねーっつの。とっとと帰れ」
憎まれ口をきいた後で、尚は、ふと何かを思い出したかのようにキョーコを見て、神妙な表情をした。
「―――いや…心配かけたなら謝る…ただの検査入院だから…大丈夫だから帰れ。気をつけないと、またマスコミのネタにされるぞ」
瞬時にキョーコは、ぷつぷつっと鳥肌を立てて眉根を寄せる。
「っ…きっ、気色悪いっていうのよ…アンタがそんな簡単に謝るなんてやっぱりどっか悪いんだわ…!」
「だいたい、こんなとこまでのこのこ出てきやがって…変な噂立てられたくないんだったら、ちょっとは考えて行動しろ」
「あんた…どの口でそんな事言えるわけ?!この間私を呼び出したのはどこの誰よ!」
「俺が、呼んだ時だけくりゃいいんだよ!」
ぷい、とそっぽを向いた尚に、キョーコはそれ以上話しかける気も失せて、カバンを肩に掛け直し憮然とした声で言った。
「……本人もこう言ってますし、祥子さん、私帰りますね」
「キョーコちゃん…」
「は…?」
「話が、あるの。聞いてくれるわよ、ね?」
「はい…え?」
「ただ、ここじゃちょっと…一緒に来て」
「え、あの…っは、はい…」
有無を言わせない口調の祥子に押され、キョーコは返事をするよりなかった。
祥子の車で連れて行かれたのは貸切同然の小さな喫茶店だった。
内緒話をするにはうってつけなのだろう…コーヒーに手を付けるよりも早く、祥子は本題を切り出す。
「―――あの子、寝食忘れたみたいに仕事に没頭しだして…あなた達、あの夜、何があったの?」
「何ってなにも…そうか、祥子さんですね?アイツに私のメルアドばらしたのは」
「ええ。私…尚が煮詰まっている原因はキョーコちゃんにあると思っていたから…もしかしたら、キョーコちゃんとうまくいくかも、なんて期待してたのよ。ごめんなさいね?」
「何がどううまくいくって言うんですか…!なんてありえない期待を…そんな勝手すぎな…!」
「そうよね、勝手よね…本当に、自分で何とかできれば…良かったんだけど…結果的には、あんなに憔悴させて…何の役にもたたないなんて…マネージャー失格よね」
「そんな…あんなヤツの為に心を痛めることなんかないです!すべてはあいつがちゃらんぽらんなせいで…祥子さんは何も悪くなんてないですから」
「でもあの子、曲を作っててあまり寝てないみたいだし、病院の食事も手を付けなくて…そんなにまでキョーコちゃんの事で思いつめているなんて…見抜けなかった私の責任だわ…キョーコちゃんの影響力がどれほど大きいかなんて、よく考えれば気付けたはずなのに…」
…―――なんだか、暗に私のせいでショータローが倒れたって言われている様な気がするのは…気のせいかしら―――…
「祥子さん…ヤツが病院食に手を付けないのは偏食ごまかしですよ…」
―――病院でまでかっこつけして馬鹿じゃないの?!
倒れたのだって、不摂生な生活してたせいであって、私にはなんの関わりもないと思うけど!
白けた顔のキョーコに、祥子は苦笑いで頷いた。
「せめて食事だけでもちゃんととってくれたらいいんだけど…点滴だけじゃ、どうしても心配で」
―――でも…祥子さんが、こんな弱気な表情するなんて…
あいつのことだから祥子さんに頼り切って好き放題やってるに違いない。
きっと、それが、あたりまえのように。
世話を焼いてもらって、感謝のひとつも言えないなんてあいもかわらずなんて不義理な男なのかしら!なんだか…腹立つわ…
居ても立ってもいられなくなったキョーコは、迷いを振り切るように立ち上がり、きっ!と視線を強めた。
「分かりました」
「…え?」
「私…不本意ながら、あいつが少しでも食べれるよう何か作ってきます。ただし、祥子さんが渡してくださいね?!私はもうあいつとホントに係わり合いになりたくないんですから…!」
相当気持ちに折り合いをつけてか、ぎゅっとこぶしを握り締めてそう言ったキョーコに、祥子はふっと微笑んだ。
「ありがとう、キョーコちゃん…きっと尚、喜ぶと思うわ」
「んNOぉ!!!あいつを喜ばせるのは私じゃないですから!そこ間違えないで下さいよ?!」
「わかってるわ…そんなに力まくてもいいのに」
「とにかく!絶対、奴が完食するようなメニュー考えてきますから!大船に乗ったつもりで!安心してて下さい!」
―――大船…ねえ…
「…またヤツにお弁当作るはめになるとは思いもしなかったわよ……」
自らの調子のよさを呪ってぼやきながらも、手元はてきぱきと作業を進める。
―――だって…嬉しそうな祥子さんの顔見たら、やっぱりやめるとも言えなかったんだもの…引き受けた以上は、きっちり果たさなきゃ…
頭で献立を考えなくても、体に染み付いているみたいに手先が動いてあっという間に完食確実なお弁当が出来上がった。
―――何故かしら…あの男の好みそうなものを、しっかりと覚えている自分に嫌気がさしてくるわ…
気を紛らわそうとテレビをつければ流れ出すコメンテイターの声が憂鬱をさらに深める。
『不破さんはキョーコさんとは以前にも噂があったわけですが…』
『お見舞いはマネージャーも公認のようでしたし、ね』
『そうなりますと…先日のお相手とは…』
どうやら昨日病院へ行った事がスクープされたようで…またしても二股疑惑で盛り上がっている。
まったく朝も早くからこんなくだらない話題垂れ流すなんて…この番組どうかしてるわね…
―――まっ、噂は噂だし!腹は立つけど、気にしない!
チャンネルを変えようとリモコンを向けた手が、気がかりな事に制されて、ふと止まる。
―――でも…こんなの敦賀さんが見たらどう思うだろう…
自意識過剰かもしれないけど…いい印象は持たれないわね…きっと…
しかもこんなお弁当なんて作ってるところ、敦賀さんに見られたら…
ぞっ…恐ろしくて想像するだけで背筋が凍る…っ
「義務!義務ですから!敦賀さん!誤解しないで下さいよ?!」
早いとこ任務完了するに限る!
「さっさと渡してきてしまおう!」
一人言を叫びながら、ぱっぱと手早くお弁当箱を包み終えたところで。
「…!!!?」
視界が遮られる。
「ただいま」
突然目隠しされて、キョーコは驚きのあまり手にしていた弁当の包みを取り落としそうになった。
「ひっ…!?」
「あれ、珍しいね。ワイドショーなんて見るんだ?前はこんな低俗な番組は見ないって言ってなかったかな」
「……っ?!…っ?!っつ…!!!」
そんなこと言った覚えない…いえ、それよりも!
「へえ?不破との噂まだ続いてるんだ…君も話題に事欠かないね」
「そっそれは…ち、違っ…」
「ああ、よく分かってるよ?あくまでも噂だって事くらいは」
「はっ、そうですっ、ホントろくでもない噂でっ…」
微笑む気配がする。きっと、最上級の笑顔に違いない…
「それで…君はいったい何をしているのかな」
「っあ、お、お弁当を…!」
「え?今日は君、オフだろう?そのお弁当は何のために?」
「い、いいお天気だからちょっとピクニックへでもとっ…っ」
背後からの極寒な空気に耐え切れずキョーコは床にへたり込んだ。
「……は、はは、はわわわわは早いお帰りですね、敦賀さん…っ」
「あれ?早いと何かまずかった?」
間髪いれず笑顔で返す蓮に、キョーコはががががが…と高スピードで小刻みに首を横に振る。
「いいえ!めっそうもない!」
会えたことがとびつきたいくらい嬉しいのに…恐ろしくてとてもじゃないけどこの状況で…そんな度胸は…ない…
「無理しなくていいよ?俺がいない間にこっそり済ませようと思ってたんだろうし。ごめんね?内緒で早く帰ってきちゃって」
「ちちち違うんです、敦賀さん!」
真っ青になって弁解しようと口をぱくつかせるキョーコに、蓮はふわりと笑いかけた。
「…分かってるよ、君の事だから、どうせまた必要以上に責任でも感じてるんだろう」
「え…」
「病人を労るのは人としてあたりまえの事だからね。持っていってあげるといい。早く彼がよくなるといいね」
「敦賀さん…」
にこやかな表情には、厭味も怒りも感じられない。
―――ああ…やっぱり敦賀さん…なんて大人なんだろう…
隠し事しておたおたしていた自分が本当にちっぽけに思える―――…
キョーコがじんわりと胸をなで下ろしたのもつかの間だった。
「かといって…俺がまったく気にしないかっていったらそれはまた別の話だけど」
「…?!」
「俺が家を留守にしている間、君がここで他の男の食事を作ってたなんて」
きりっと鋭く見すえられて、キョーコはこれ以上はないくらいに震え上がった。
―――ああわわわわ…発光度数が見る間にあがって…っ
「コ、コレは、じ、慈善事業のようなもので…相手は私を裏切った男ですから…っ何も深い意味も無く…っ」
キョーコを強い視線でとらえたまま、蓮は口の端を上げて冷ややかに笑う。
「裏切られた?そもそも…君と不破との間にはまだ始まっても終っても無いのに?」
「どういう、ことですか…」
「君は愛情であれ、憎しみであれ…ずっと不破の事を想っていたんだろう?好意から憎悪に…その憎悪も君の中で変わりつつあるなら、そこからまた別な感情に変わる可能性だってあるんじゃないのか?」
―――別な、感情?
「君は、無防備すぎる。いや、無鉄砲という方がいいかな…自分の行動が、どんな結果を引き起こすのか少し考えたほうがいいんじゃないのか?」
いつにない、冷たい視線が。
重ねる弁解が、疑いを増幅させるばかりであることが。
彼の唇が、ひやりとした空気を伴って動くのが。
―――ただ、哀しかった。
あいつなんて問題にもならないほど、
敦賀さんのことが大事なのに。
それを彼にちゃんと伝えてもいないくせに、
どうして分かってくれないのかと身勝手な苛立ちが湧き上がる。
けれども、それ以上、言葉がでなかった。
「…最上さん?」
私は、今度こそ、敦賀さんに嫌われたんだ。
ずっと、恐れていた時がきたのかと思うと、
切なくて、涙が、止まらなかった。
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